ミヒャエルエンデのモモを読みました。
時間銀行に時間を預け満足している大人たちは、ますます忙しくなってしまい、預けたはずの時間が「灰色の男たち」に奪われていることに気がつくことができません。
今この社会の、大人たちは住宅ローン・教育資金・車・家電・旅行・(貯金?)にとせっせとお金を費やしお金がないと苦しむ、子供達は塾やおけいこで時間をすり減らし、くたびれて不機嫌になり、怒りっぽくなり、とげとげしい目つきになる。
まさに時間泥棒に時間をを盗まれた人たちそのもので苦笑いでした。
「時間とは何だろう」モモとマイスター・ホラ(時間の神様)の問答の場面が一番印象的でした。
時間ってなんでしょう。
マイスターホラは、「その時間は、自分のものである間は、生きた時間でいられる。」「心が時間を感じられない時にはないも同じ」と言っています。
私は時間とは、死=命 だと思いました。唐突ですかね?
私自身、この数カ月で生死観が変わり、一般の人より少し変なのは自覚してますが、どう言えば伝わるかしら?
生きることは、「自分の時間をどう使うかということ」くりかえしになりますが「時間の使い方そのもの」だと思っているといえば少しは共感していただけるでしょうか?
時間は 人生=命
時間の使い方=命の使い方
なんです。
「この一球は無二の一球なり」という言葉は、時間をどう使うかという答えだと思います。
だからと言って、ためになることをして有意義に使いなさいとか、無駄を省き効率よくてきぱきとこなしましょうとは思いません。
のんびりゆったり過ごす、花や野菜を育てる、やりたいことに寝食を忘れ没頭する、任された仕事に精力を尽くす、家族や大切な人の笑顔のために生きる、なんだっていいと思います。
自分が自分の考えで時間を=命を使っていると思えればそれは幸せなことだと思うのです。
マイスターホラの言葉は、直接的でないのでもしかしたら子供たちは読み飛ばしてしまうかもしれません。
この今の時間を、じっくり楽しんで味わって、自分が感じて生きていきたいです。