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なんだか頭が整理できていない。
すぐには整理できないような気がするので、とりあえずつらつら書く。 人がある行為を取る場合に、意図を込めたとする。 人がある行為に接したときに、解釈を行うとする。 通常の人間関係の場合でも良いし、あるいは同一人における時間差の場合で考えても良い。 ここで生じる差異というのは、かなり厄介なこともあるけれど、面白いといえば面白い。 府中市美術館に今日行ったのは、遠藤彰子さんご本人のお話を聞ける機会があったからだ。 自分が興味を持っている芸術家が同時代にいて、その方の直接の言葉を聞く機会に恵まれるなんていうのは、ほんとに稀有なことだと思う。 12年ぶりに見た絵によって、その当時と今の自分とで変わったこと、変わらないことを考える。 12年前より後に描かれて、今回初めて目にした絵から遠藤さん自身の変化を感じ、その間の自分の変化を、時代状況なども頭の片隅に置きながら照らし合わせて考えてみたりする。 遠藤さんの口から発せられた作品に込められた“意図”を聞きながら、私が感じていた印象からの“解釈”との「差異」を考える。 これらのそれぞれの「差異」というのは、実は表層的なものという気がする。 話を聞いてよかったと思う。 最初のうちは「あれ? そうなんだ? 私の印象や解釈と違うんだ・・・」と思ったけれど、話を聞いてから再度作品群を眺めていると、新しい視点で見えてくるものがある。それは、必ずしも作者の言葉によって解説されたことだけではなく、私が以前から感じていた印象とあわせて、さらに一歩理解が進んだような気がする。 違うようで違わない。 変わっているようで変わっていない。 本質がどこにあるか、求めているものは何か、自分は何ものであるか、そういう部分はきっと変わらなくて・・・そんな風に思う。 とても良い経験になった。 せっかくの質問コーナーに、うまく自分の問いを整理できなくて直接お話できなかったのが心残りだけれど・・・。 この辺はまだまだ修行が足りんな(苦笑)。 ちなみに、昨日行った原美術館の奈良美智展もなかなか面白かった。 芸術に触れるのは良いことです。蛇足だけれど、もちろん、“本物”でなければ意味は無いです。テレビや本で見ただけで「ふーん・・・」くらいに思っているあなた。実物はまったくの別物ですよー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年09月20日 00時33分54秒
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