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************************************************************************ ![]() ![]() * * * * * 格安追求 『青春18切符で行く日本列島縦断』 前後編通算No.61 〔後編No.14…急行「利尻」車窓の夜明け~日本のテッペン・稚内着(1)〕 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ●1997年8月24日と前後の旅程 【23日】6:30札幌着。…乗継待機後09:11札幌発→旭川着12:49⇒バスで旭岳ケ ーブル山麓駅を目指す⇒小雨模様となり天人峡温泉で下車、入浴休憩 ⇒夕刻旭川駅に帰着し夜半まで稚内行夜行急行「利尻」乗継待機。 【24日】旭川発00:40→(宗谷本線)→06:00稚内駅着/バス移動/稚内港6;30⇒ (フェリー)⇒8:10利尻島鴛泊港(周遊バス観光)12:05⇒(フェリー)⇒12:45 礼文島香深港(周遊バス観光)16:40⇒(フェリー)⇒18:25稚内港/徒歩移動 <夕食&忘物のVTR電池付き充電器を載せ19:10到着予定の最終便待ち >/稚内駅22:13→(宗谷本線・夜行急行「利尻」で旭川へ… 【25日】3:22旭川着//旭川発6;58→(石北本線)→8:15上川9:28⇒(バス)⇒9:55 層雲峡着/…(貸自転車で大函小函渓谷下りを楽しむ)…/層雲峡発11:47 ⇒(道北バス特急)⇒12:53温根湯着/(入浴&昼食)/14:59温根湯発⇒(北見 バス)⇒15:19留辺蕊駅着/(温根湯で又々忘れ物をして一列車乗り遅れる) /17:52留辺蕊駅発⇒19:28網走着(駅前H『しんばし』泊) §1.夜行急行「利尻」で早朝稚内着、フェリーで先ず利尻島へ ![]() ↑北海道の北端、稚内行き夜行急行「利尻」車窓の夜明け ・点描1…広々とした平野の彼方、開け始める空と黒く低 い山並みを背景に民家の灯りが点々と光っていた ![]() ↑同上・点描2…幌延駅手前の裏通り、未だ寝静まり暁を待つ 町並み ![]() ↑同上・点描4…夜明け前の幌延駅。ホームには駅員一人 の姿を見かけたが、乗降客は誰も居らず余計ヒッソリとした 雰囲気が何か旅愁を感じさせた。 ![]() ↑同上・点描5…豊富駅手前で見かけた工場の一景 ![]() ↑同上・点描6…豊富駅手前で見かけた工場の一景 ![]() ↑同上・点描7…豊富駅に一番近く、広い材木集積所を持 つ工場があった。製材所?or紙パルプ工場? ![]() ![]() ↑同上・点描8…この豊富駅周辺には森林資源を利用した工場が散在しているよう に思えた。右は同駅の駅名行灯 ★夏も暖房入りの宗谷本線・夜行急行「利尻」で行く日本の北の涯 下り急行「利尻」の稚内着は、朝6時丁度だった。その一時間ほど前から目が覚め洗面に行ったが、乗車時に最後尾3輌に座れずアナウンスを聞いて移って来たものの、それでも座りきれずに立ちん棒を余儀なくされていた人達も、途中駅で下車していった札幌・旭川間からの乗客が相当数いたらしく既に通路から消えていた。実は旭川から先の停車駅は何れも真夜中の到着とあって、他事ながら下車客数が案じられたものの杞憂だったようだ。 やがて車窓の夏の夜が山際の薄れた曇り空を通して白々と明け始める頃に私は目が覚めた。この辺りは有名な酷寒地帯で確か日本での最低気温が観測された所。まだ明けやらぬ夏の朝の通過とあって、車掌さんの機転で一旦止められた車内のスチームが程よく効いて外の肌寒さは実感できなかったが、外気温との差で曇りがちな車窓のガラスが僅かに冬の厳しさを感じさせた。それで私は車窓を一拭きしてビデオカメラでの旅記録を再開したものだった。 「1997.8.24 AM 4:45」とタイムコードが刻印された朝一番の記録には、画面上半を覆う曇り空の下部が次第に白々と明るさを増して来ていた。尤も間もない夜明けを感じさせる空が接する画面中央の遥かな地平線は極々低い山並みが連なっていて、その稜線から手前は未だ殆どがシルエットで、沿線一帯が農地なのか放牧地なのか単なる荒地なのかは見極められなかった。ただ遥かな山裾に沿って横一線に点々と薄ぼんやりと白っぽい家々が立ち並び、早々と朝食の支度でも始めたのか、窓の灯りが星影の様に小さく点々と光っていた。 やがて車窓間近にも、薄明かりの中で未だまどろむ小さな家々が見え出し、早くもヘッドライトを点けた車が小さな町のメインストリートらしい道を走りくるのが見えた。「幌延(ホロノベ)」という駅に着いたのはそれから間も無くだったが、ホームには駅員一人の姿を見かけたものの、乗降客は誰も居らずヒッソリとした雰囲気が何か旅愁を感じさせた。 こうして曇り空ながら、僅かづつ明るさを増す車窓の風景を見せながら再び動き出した列車が、次に停まったのは「豊富(トヨトミ)」という駅だった。ここは木材を加工する産業が盛んらしく駅に近付くにつれ、堆(ウズタカ)く積まれた木材置場の丸太の山が目に付いた。曇り空の下でスプリンクラーが作動していて、四六時中絶え間なく霧状の水を撒き散らしているらしく、そのリズミカルな動きが操業前の静かな工場群といった画面に活気を添えていた。列車時刻表の記述では、町としての規模は幌延より小さな駅のようだった。早朝にもかかわらず数人の乗客が下車して行ったが、そうした工場関係者だったかとも思う。 §2.稚内駅に朝6時に到着、利尻島へ向かうため稚内港行のバスに乗る・ ![]() ↑稚内駅舎外壁駅名 ![]() ↑稚内駅の駅舎全景と出発待機中の港へのバス ![]() ↑「ようこそ日本のてっぺんへ」と歓迎のメッセイジに迎えられ、 この稚内駅前から利尻・礼文両島へのフェリー埠頭へのバスに 乗り込む ![]() ↑駅舎正面の駐車場附近 ![]() ↑バスの乗客は殆どが急行「利尻」からの乗換客で、利尻・ 礼文両島への観光客らしかった。バスは直ぐに満員になっ て発車、フェリー乗場へ直行した。確か10分程だったし、 全員が6時半のフェリー出発に間に合うよう何往復もして いたようだった。 ![]() ↑車窓遥かに宗谷の海が見えた稚内港に近い街角 ★「ようこそ日本のてっぺんへ!!」 さて豊富を過ぎれば、「稚内(ワッカナイ)」までは残り一時間足らずだった。早々と荷物を再点検し、混みあわぬ間に用足しも済ませて終着駅への到着を待った。 稚内駅に着くと、フェリーターミナル行きのバスが既に駅前に停車していた。利尻・礼文島行へ向かう乗客が次々と乗り込む。間も無く発車する様子だったが、駅前広場の様子だけでも撮影しておこうと、座席に荷物を置くと運転手さんに断り一旦下車。数カットを撮り急いでバスへ戻ったが、座席は早くも満杯で後から乗った相当数の人々が吊り革に掴まっていた。で、その人垣の中を「失礼します」「失礼します」と掻き分けるようにして席に着くと同時にバスは動き出した。 ところで、未だ扉を閉ざした店ばかりの駅前繁華街を抜け港へと向かうバスの中で、私は先ほど慌しく撮った「ようこそ日本のてっぺんへ!!」と大きく書かれた駅前広場の白い広告塔の文字が何となく気になったものだ。 あれを見て私は、昭和の終わる年に旅した南米旅行でのリオ土産に買った、南北を逆さまに描いた世界地図の面白さを連想させられたものだった。つまりあの世界地図が私の心を捉えたのは、その発想の転換の妙だったが、この「テッペン」という表現も同様に、着想の妙を巧みにとらえたフレーズだと感服させられた。そればかりか、昔は蝦夷地と言われ何となく日本の北の果てみたいに思われがちだった北海道のイメージに対し、道産子の心意気みたいなものをも感じ取った私だった。 ともあれ、地図は北を上にしても描くものといった決まりは何時誰が如何なる理由で決めたものだろう…。まあ、それはさておくとしても、オラが街を日本のテッペンだとする表現が何とも面白いではないか。そんな事を考えが転々とする中、交差点の向う遥かに灰色の空の下、少し白波だった宗谷の海が見えてきた。 ※次回へ続く ************************************************************************ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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