ノームに恋して
このネット時代になる数十年前、確かに名前に覚えはありました。どこで何を読んだのか、まるで覚えてはいないのですが、多分、言語学者としてではなく反戦思想家として、私の記憶にとどまった方だと思われます。再び知ったきっかけは、911でした。ノーム・チョムスキー氏911から丸1年後のある時、この方の名前が、やはりどこかで出てきていました。その時に、言語学者としてのチョムスキー氏を、現代における言語学の強烈な一体系を確立した人物として知り、私の中でははじめて、「言語学者ノーム・チョムスキー」が深く心にとどまったのです。ただし、しまい込んで忘れてしまうほどに深く。そして今年、911から5年後の、その歴史的惨事の1日を扱うニュースとしての「911」を視て、書くべき言葉のどれもが空しく空回りしての翌日、どのくらいの方がブログアップしているのだろうと検索し、予想をはるかに下回るヒット率に軽く衝撃を受けていました。それ以前に、やんごとなき方の誕生ニュースと、それに伴うある、大好きなブログの炎上、そのブログへの何千件もの書き込みの下劣さに心底ウンザリして、ここ30年余、特にここ5年間の「ナショナリズム教育の成果」に慄然とし、現世を忘れたい思いに捉われてしまいました。ブログをはじめてから、持てる時間の多くを、日々の出来事や自らの意見の発信に費やし、皆様の心温まるコメントへのお返事や、ブログ仲間のところへの訪問・書き込みに時間をかけ、結局は実生活での人とのコミュニケーションと大差なく、限られた空間で、自分と類似した感性を持つ方々とばかり、心地よいやりとりを続けていて、心と頭がなまってしまっているなぁと、正直、少し自分にがっかりもしました。そこに、アメリカで当時緊急出版されていた本の情報デジタル読書トレンドWatch!=[評者]落合早苗=追悼~『9-11』ノーム・チョムスキーのインタビュー集(Norm Chomsky,Seven Stories Press)←こちらは、その邦訳文庫本ですなんと、楽天ブックスもAmazonも取り寄せ。。。私にとっては再再度の、ノーム・チョムスキーです。かのマサチューセッツ工科大学の言語学の教授として、また、21世紀の知の巨人として世界にその名を知らしめているノームですが、その著名度に比して、思想家としてご本人が書いている著作で邦訳されているものは驚くほど少ないということも、今回、意識的にノーム・チョムスキー情報を漁る中で、知りました。さもありなん、ノームは、とにかく語るのです。世界中で、精力的に講演をして、喉が枯れてしまうほどに語ると言います。講演のあとの質疑応答でも、その応答部分が講演と呼べるほどの「濃い語り」だと、知る人々は口を揃えます。言語学者として、思想家としての自分の役割を、人生の活動の主眼を、「直に語って伝えること」としているのだろうと、私は想像します。幸いなことに、そのノームの「言葉」を残したい・より多くの人に伝えたいと思って、しかもその手段を持った人々が、少なからずいます。チョムスキーに関する多くが、インタービュー形式の映画や映像を伴った講演会の記録など、フィルムやDVDとして流布している為、今、私たちは彼の言葉を、視て聴いて、知ることができるのです。例えばこのようにもちろん、講演の内容の翻訳や、他の著述家が書き表したインタビュー形式の本も出ていますし、インターネットでも、彼の「語り」を活字で追うことも可能です。ノーム・チョムスキーにすっかり恋をしてしまっている私は、今、心底、英語を学びたいと思います。そして、言語学を学びたいと熱望するようになっています。これほど大学で学びたいと強く思ったことはありません。今現在、仕事に関することでは窮に瀕してして、いよいよ生活の心配をマジメにしなくてはならなくなっているこの時に、なんということでしょう。一切の実生活に関する事柄が、かつてのように現実味を帯びて私に迫ってはこないのです。こんな時に、人は、生活を絶ってしまいたくなったり、生きること自体を放棄したくなるのかも知れないと、ふと思います。と不穏なことを書いてはいますが、くれぐれも本気で心配などなさらないでください。今この時点で全てをご破算にしてしまうくらいなら、とうの昔に、私は存在をやめています。かくもかように、全てがどうでも良くなるほどに、私はノームに恋をしているということです。そして、ノームへの恋は、ヴァーチャルな恋の代替恋愛なのだと自覚もしています。物心ついた頃からの家庭環境のせいもあり、また自ら招いた結果として、女手ひとつで二人の子を育てあげなければという事情を抱え、その間に闘病という特殊事情も加わり、ひたすらに糊口をしのぐことに懸命にならざるを得なかった以前の私ですが、ある程度安定して、やっと子育ても終わったという頃の突然の失職と、結果として与えられたタップリの時間。取り敢えずは健康なオトナが3人で暮らしているのだから生活はナントカなるだろうと、初めて自分に与えたモラトリアム期間も1年と半年になります。そろそろ終わりにしなければなりません。長い間、本当にたくさんの励ましをいただいたこのブログですが、どうしてもブログ中心の生活に見切りをつけなければならなくなりました。今後は、本当の意味の「日記」は、一部友人のみ公開のSNSでの日記ひとつにして、こちらは、完全な一方通行の発信のみにさせていただくことに、勝手ながら、決めました。書きたいことをある程度の強さで書き綴り、それでも荒されたくないと思えば、コメントやトラックバックを止めて、BBSも止めて・・・・・という方法しか、今のところ思いつきません。それもつまらない話だなぁとは思うのですが、私への非難や中傷のコメントに、万一、コメントで応酬した善意の方がいらしたら、その方のところに色々なことが派生する可能性もあります。私自身は、どれほど酷いものが来てもぜんぜん平気なのですが・・・・・そのようなわけで、楽天ブログのコメント欄に預かり機能ができるまで、コメントのやり取りは一切中止し、友達ブログのリンクも全て、切らせていただこうと思います。メッセージボックスは開放しておきます何かありましたら、メニュー>[HOME]から右の欄のずっと下にある、 メール の、 メッセージを送るというところからメッセージフォームをご利用ください!と、勝手なことを書き連ね・・・・・、さらに、ブログランキングもTOP[HOME]ページでのお願いのみにしますので、殆ど無視してくださってかまいません。今までの応援に深く感謝して、励みとさせていただいたことに心からのお礼を申し上げ、身勝手承知で、さらにさらに身勝手なお願いをお許しいただけるなら、今後はのんびり更新になりますが、今後ともご愛読のほど、どうぞよろしくお願いします。私が恋したノームの言葉を今日の最後に。誰だってテロをやめさせたいと願っている。簡単なことです。参加するのをやめればいい。