000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

LAUNDRY ROOM

PR

全67件 (67件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 7 >

TRIP & TRAVEL

2007/03/24
XML
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
せっかくA寝台にしたのに最悪-
1号車(A寝台)のみのサービスエリアがあります。(前回=下の記事の画像)
寝台車両とは区切られた場所です。

そのブースのすぐ近くが私の寝台席。
で、先程から延々30分以上、二人の中年リーマンがビールで盛り上がり…というか…出来上がってます(ブーッ!
車掌室に言いに行きたくても、そこを通らなくてはなりません…、
声が大きすぎ!
ムフ…ちょうど今、2ヵ所くらいのカーテンが、イライラ感一杯に開いたから、どなたか言いに行きそう!……えー?…諦めるの~?

初回更新日時 2007/03/25 2:53:35 AM

と、慣れぬ携帯電話によるブログ更新にもたついている間に楽天さんの定期メンテナンスに入ってしまって、消化不良なままになってしまっていました(笑)
で、ここから後日の追記です。

結局(他の方の話によると、AM2時時点で、もうかなりの大声会話が始まっていたらしいので)最も静かであるべき時間帯の、1時間以上に亘っての迷惑行為でした。
急行銀河でのこのような行為はそんなにあることではないと、あとで聞きました。

この記事のコメントでロックストンさんもおっしゃっているように、寝台車ご利用の際、他人のいびきなどが気になりそうな方は耳栓必須なのかなぁ・・・。
でも、列車の揺れに合わせたリズミカルなイビキなら、私はそれほど気にならないかなぁとも思いますが(爆!

私がファン読者を続けさせていただいている、「デジカメ・マイレージジャンキー・鉄、ただいま禁煙中」というカテゴリー大笑いの大ブロガーnotoshunさんがご解説下さっているとおり、地方に住む忙しいサラリーマンなどが朝早くからの東京での仕事を迫られた時、寝台車での移動は本当に便利です。

今回の私も、土曜の夕方まで仕事がありながら日曜の朝からの東京でのイベント参加見学というタイトなスケジュールの週末、寝台車での移動は趣味と実益を兼ねたものになってくれてウィンクたいへん嬉しく、かつ助かりました。

寝台車に限らずですが、公共交通機関を利用する際には、やはりマナーを守って利用しなくちゃねぇと、思った次第です。

mamanからのクリックお願いバナー ランキング投票へはこちらクリックです






最終更新日  2007/03/26 07:49:25 AM
コメント(8) | コメントを書く


カテゴリ:TRIP & TRAVEL
2007-03-25 02:42:52









初回更新日時 2007/03/25 2:42:53 AM






最終更新日  2007/03/26 06:30:49 AM
コメント(0) | コメントを書く
2006/10/27
カテゴリ:TRIP & TRAVEL

数日前、夕方近くにかかってきた電話電話

「今、美幌の近くなんだわ!
象さんが描いてある、見たことない黄色い車両が線路に停まってるんだけどさ、
知ってるかい?」


保線車両だと直感して、即答しました。


「撮って! すぐに撮って!」

で、メールで送ってもらいました(笑)


願わくばこの目で一度見たいと思いながら適わずにいる、通称マルタイ、※マルチプル・タイタンパというものではないだろうかと思うのですが・・・自信はありません。
保線車両2
 ※マルチプル・タイタンパ
  列車荷重により発生した軌道の凹凸(軌道狂い)を
  レールを持ち上げて、バラストをつき固めることによって
  高精度で補修する機械。


・・・って書いたら、バラストって?という話になるのでややこしいですわからん
線路で「バラスト」と言ったら、道床部分(つまり線路を敷いてある部分)の、枕木を支えている基礎部分の砂利などのことです。
北海道は、地面が凍るし、今のところ新幹線のような高速列車は走っていないので、ローカル線の殆どはまだまだこのバラスト軌道です。
(すみません、15年以上前の知識ですので、今は違っているかもしれませんね。)
バラスト軌道は、水はけが良くて力も分散するし、他にも利点はいっぱいあるのですが、その利点と背中合わせの欠点もあります。
特に、降雪・氷結を考えると、保線の大変さは想像に難くありません。

地面が凍るって、本州の方にはちょっとピンと来ないかもしれませんが、車の走る道路の舗装も、舗装路の下の地面が凍って、表面の舗装を下から持ち上げてひび割れを作ってしまうということなのです。

常にそのような試練に晒されている北海道JRの保線区は、他のJR各社の方からはお叱りを受けることを承知で言ってしまいますが、JR各社の他の保線区に比べて、仕事の質そのものが違うと感じます。
特に札幌近郊の線路の整備具合は多分日本一ではないかと、贔屓目でしょうが密かに私は思っています。


足回りが写っていたところで、マルタイかどうかの判別はつかないかもしれませんが、それにしても、草丈がありすぎて、ちょっと残念。
保線車両1
北見と美幌の間の美幌寄りの場所だとのことです。

多分、多分、ばかりで申し訳ありませんが、北海道はいよいよの冬に備えて、軌道の補修に余念がない時期と思われるので、昼間はこのような待避線で待機して、深夜にでも保線作業に励んでいるのだと思います。

その数日前に、札幌市電の「ささら」が出動準備を整えて出番待ちに入ったというニュースもありました。

もうあと数日で11月。
北海道は間もなく雪で覆われますが、今はまだ秋。
観光的には一番呼び物が少ない時なので、これから冬休みにはいるまでが、航空料金の一番安い時期でもあります。

昨日の札幌ドームの熱気を見て、

日本ハム 新庄選手

「俺、北海道に来て、
 ホンット、良かった!」


という言葉を聞いて・・・・・・・・・・・・


帰りてぇ~!!! (失礼!)


と、心からそう思って、気持ちがざわざわとしてしまった1日です。







最終更新日  2006/10/28 03:08:21 AM
コメント(0) | コメントを書く
2006/06/24
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
摩周湖

今日は、午後からマンションの自治会集会があります。
購入時(入居時)から分かっていたことですが、10年ほど前に、前理事長の管理費使い込みがあって、裁判係争中でした。
その後、マンション自治会員による「自主管理」方式で、出費を抑えつつ---とのことでしたが、現理事長がまたぞろ規約を無視して、と、きな臭いことになっているようです。

幸い、今年の理事の中に、マンション等の管理に関する有資格者がいらして、この1年間、地道な啓蒙活動をしてくださっていました。
どうしても、現理事長には降りてもらわなければ、前回事件の轍を踏みかねない状態なので、理の立つ我が息子に付き合ってもらって我が家からは2名で出席です。
息子は、私が余計な役を引き受けないようとのお目付け役も兼ねてのつもりらしいです(笑)

まぁ、息子に言われなくても、ちょっと容量オーバー気味のこの頃ですので、余計な(?)ことを抱え込む心配はないモノと思われ・・・ますが・・・はて?

で、早くレポートしたい某博物館の記事は今日、夜半になりそうです。

道東のおまけ画像を載せました。
どちらもakkun様からの頂き物から、一番上のは、晴れた摩周湖の画像をチョコッと額装してみました。


下は、私からのリクエストで撮って頂いたJR釧網本線「川湯温泉駅」の、相対式ホームからの切り掻き階段と、渡り通路駅舎線路(笑)

川湯温泉駅

この、軌道間に板を並べて通路にした部分・・・構内踏切とは違う言い方で、この板敷き通路のことをなんと呼んでいたか、思い出せなくてじれったいのですが、お分かりになる方がいらしたら教えて下さい。

川湯温泉駅、昔はただ「川湯」という駅名だったと思いますが、昔のトイレ部分(?)を建て直しして、なんと、とても広い、流行の「足湯」が出来ています。

akkunさんのところの他の画像、川湯温泉駅の風情ある駅舎など、どうぞご堪能ください。



[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
ちょっと落ち気味・・・どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m










最終更新日  2006/06/24 02:26:02 PM
コメント(8) | コメントを書く
2006/06/22
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
前回まで書いてきた道東巡りですが、全くの時系列無視で、各場所、スポットをあてる形でご紹介してきました。
最後に、時系列に整理してみます。



3月29日:道東は大荒れ猛吹雪の情報で、札幌も雪がやや本格的になった
夜11時に、夜行の寝台特急「まりも」へ、80歳の母と二人で乗り込む。



3月30日:幸い「まりも」は、吹雪が治まったあとを追いかける形で順調に進み、早朝、晴れた釧路駅に定刻どおりの到着。
駅からはタクシーで親戚の家へ行き、午後からは純粋な釧路観光



3月31日:日中、母親の昼寝の間に、
従妹の車で炭鉱展示館」と、その『模擬坑道』
私が幼い時を過ごした場所、そこから続く旧釧路臨港鉄道を廻ってもらい、
その間、母は叔母とゆっくり昔話。
私は従妹の家で小学校副教材を見せてもらいパソコンも拝借して、
夜は叔母の取ってくれた出前で地元のお寿司を頂き
・・・これは、写真どころではなかったのですね(笑)、1枚の写真もありませぬ。
はい、申し訳ありませんが、たいへんに美味しかったです!
特にイカが。
釧路も函館も、季節を少々外しても、やはりイカが美味しいようで。


釧路スーパーおおぞら

4月1日:

午前中に釧路の親戚の家を辞し、

釧路駅で
札幌行き特急「スーパーおおぞら」
に乗る母を、指定席まで案内して、
トイレの場所を教えて
列車を見送る。



身障者用の広いトイレと、
車椅子対応の広いデッキは、
たいへん使いやすそう。
(下の画像)



Sおおぞら4号車身障者車両

山・坂・カーブの多い北海道の特急車両は、FURICOが主流。
釧路FURICO283


そのあと私は、改札から一旦外へ出て釧路駅周辺をカメラに収め、
釧網線で標茶(別海)へ
友の案内で行った別海の河崎牧場への道では北海道を満喫し、
手作りチーズの現場を見学。

そして「鉄道記念館」「奥行臼駅逓」を見学して、
夜は友の家で極上の西別川の鮭やカスベの煮付けなど、地元ならではの美味しい夕食を馳走になり、チーズをいただきながらの少しの(アハハ、本当です!)お酒を。この日も深夜まで思う存分パソコンを拝借。
別海の一部先取りブログアップもできました。


4月2日:前の日にカメラに収めることができなかった標津線の旧西別川橋梁(鉄橋)を利用した歩道橋をカメラに収め、花咲線の厚床駅へ送ってもらい、
花咲線で釧路へ戻りました。
釧路から池田へ、そして旧池北線「ちほく高原鉄道」で陸別へ行き、
陸別駅の魅力をタップリお知らせ。
陸別では「銀河の森天文台」を見学して池北線で再び池田へ。


池田からは、"しの降る"という言葉を当てはめたいような雪の中、
池田-芽室の利別駅

屋根なしホームの除雪用

十勝芽室への夜行鈍行。。。乗車率という言葉さえ虚しく。
夜行で芽室へ

気付けばいつも目の端に入っていた、典型的「鉄チャン」と思われる?すこぶる変わった若い青年 (イケメン・独り言多く、手にはどこぞのものか何やら黄色い鉄板のプレートらしきもの)は、池田駅で「駅寝」の模様。
うーん、私が尊敬するnotoshunさんが尊敬する横見大先生のお若い頃とは、多分全くオモムキが異なると・・・祈るような気持ちで、そう思いたいなと

芽室へ一泊。
ここへは、どうしても訪れたかったので、この夜の「まりも」で札幌へ戻ることはしなかったのです。
寄って良かった、本当に良かった。。。
ここは全く個人的な部分なので、ブログでのレポは、ありません。
でも、芽室が小さな町でありながら十勝の隠れた「ヘソ」である証として、夜の駅舎内部と翌朝の雪の中の芽室駅を。

深夜の芽室駅

天井には星空イメージの美しい星座板。深夜にも関わらず2名の駅員さんが。
芽室駅待合室天井

翌朝、早朝の芽室駅。前夜の雪は結構な積雪量に及んでいる。
「いかにも北海道らしく」ありながら、この地域にありがちなログハウス風ではなく、どことなく洗練されたデザインで、札幌郊外をイメージしませんか?

早朝の芽室駅


4月3日:芽室を早朝の列車で発ち、新得で一旦降り、特急で新夕張へ。炭鉱が閉山した夕張近隣の町の様子が、季節遅れの雪と駅の整備の悪さのせいで痛ましくさえあって、なんとも寂しげ。
芽室-千歳/新夕張

芽室-千歳/新夕張

日本でたった2箇所、JRが「青春18きっぷ」で特急の乗車を認める区間のひとつ「新夕張-新得」間の特急乗車(他の1箇所は青函トンネルを含む蟹田-木古内区間)、
せっかくだからやってみただけで、ダイヤの関係で、「特急だから早く到着というメリット」はなく、意味はないのにやってみたくなる不思議。
新夕張から再び普通列車で千歳へ向い、
「新千歳-神戸」のANA便で関西入りし、ポートライナー三宮からJR東海道線普通電車で大阪方面へ向けて乗車、帰宅。




と、初めて神戸空港を利用した、9日間に及ぶ北海道旅行の後半は、こんな具合でした。
前半の札幌でのことは色々とレポートしましたが、小樽の船、1枚も出していませんでしたね。

小樽寄港「飛鳥2」.jpg

この豪華客船「飛鳥」の他、本当は色々あるのですが・・・
小樽は小樽でそのうち、今のざわつく気持ちが落ち着いたところで、どこかで、ネタ切れになりそうになったら、書いてみようかなぁと思っています。

途中細切れ状態での長い長い「北海道レポート」にお付き合いいただいて、本当に感謝いたしております。
ありがとうございました!!



書くのがたいへん滞っていた今週なのですが、私にとっては、さまざまな意味での「リアルなブログ週間」でした。
なんと、個別にお二人の方とオフでお会いし、他のお一人とはニアミス、またある方からは、人生の節目ともなる写真でご夫婦の実写のお姿を拝見させていただき、さらにある方からは、バグパイプを思わせるような、キーボードによる素晴らしい演奏での「アメイジング・グレイス」をプレゼントしていただきました。
このプレゼントしていただいた曲が賛美歌なのも、偶然過ぎる偶然という部分があって
本当に、なぜ、こんなにいっぺんに「今週」なのかと驚き、なにかしら神妙な・・とも違う、厳粛な?今の気持ちです。


[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m



本日、念願かなって行ってきた場所があります。
またもや写真を撮りすぎました。。。少し整理して、できるだけ早く、本当は今日にでも皆さんに見ていただきたいです。
発表まで、ヒ・ミ・ツ ですが早く言いたくてたまりません(爆)ですよね?sunnyさん!!









最終更新日  2006/06/23 07:08:30 AM
コメント(13) | コメントを書く
2006/06/18
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
実は一昨日、この記事を飛ばしてしまい、気を取り直して二度目の日記です。

4月始めの釧路駅です。3日前の吹雪が嘘のよう。
釧路駅全景

これは「動輪碑」で、旧釧路駅(この場所ではなくその前の駅のモノかも?)の駅名部分も同時に保存されていますね。
釧路駅前 動輪碑

ここで今更ながら白状すると、私は札幌を離れて大阪へ来るまで、「釧路」という街があまり好きではありませんでした。
寒い・・・降雪量は少なくて平坦なのでスキーが楽しめるわけではなく、
暗い・・・いつも霧がかかっていて、海があっても波が高く、泳げる水温にはならないし
臭い・・・幣舞橋から千代ノ浦方面へ抜ける時には、風向きによっては魚の加工場の独特の臭気で
うーん、確かに、どう考えても、子どもが「故郷」として記憶するには不利な条件が多いようです。
でも、霧の晴れた夜の星は、特に冬の星空は、それはそれは綺麗でした。
やはり郷土自慢なようで、駅前にはこんなモノも。
釧路駅冬の星座

ところで動輪碑・・・碑銘が正面ではなく裏側に?
お約束でスミマセン、線路です (^_^)v
刻印は薄すぎるので書いてあります。
「今をときめくドイツ」の会社、
ライン製鋼所の1907年製です。
発注者はI.R.J(Imperial Railway of Japan)、国鉄なのですがそのまま訳すと帝国鉄道ですよね。
動輪碑レール

どうして、碑銘が後ろなのかなぁ・・・
釧路駅動輪碑

私は、夏休み・冬休みのたびに訪れる十勝が、それはそれは大好きでした。
野山を駆け回って木の実を採ったり、釧路ではついぞ見かけることのないクロアゲハを手で捕まえたり、馬に跨らせてもらったり、小学校高学年では同じ年齢の従兄の運転する(!)カブの後ろに乗せてもらったり。。。
鶏の、フワフワつるりとした毛の感触を感じながら、産みたての卵をカゴに集め、畑で成っているキュウリやトマトをもいで、その場で食べたり・・・・・と、思い出枚挙にことかかないのは、釧路よりもむしろ十勝なのです。

大人になってもこんなに「汽車」が好きなのは、「汽車に乗れば十勝へ行ける」という条件付けなのかもしれませんねぇ。

でも大阪へ来てからは、札幌と違って気軽に「浜」へ行けなくなり、そうなると思い出すのは、
泳げるわけでもない、釧路のあの高い波の群青色の海であり、ズラリと昆布が干してある磯臭い浜であり、岩をひっくり返してカニやウニを採ったネガネ岩の小さな入り江であったりするわけです。

札幌にいる間は少しずつ図書館などで調べることができていた釧路の郷土史も、大阪では近所の図書館には、まるで資料がなく、そうなると自分の原点が喪失したような妙な浮遊感。

もう、北海道に住むことはないかもしれないと思いながら、こんなにも北海道に、釧路に、十勝に恋焦がれて、自慢し、応援せずにはいられないのです。
もちろん、札幌もまた、心から愛する我が故郷。
「好きです札幌」(笑)

先日、小さな頃から良く知っている知人が、素晴らしい北海道の四季の写真を発表していることを知り、昨日、相互リンクさせていただきました。
画質を落としていないので、若干重く感じることと思いますが、間違いなく感動できます。

akkun122by41北海道の四季を届けるakkun~だすよ~
(HOMEからのお気に入りにも貼りましたのでぜひごゆっくりご観賞ください。
他のソフトは閉じて、ご覧になったあとはキャッシュの削除が良いようです。)


§
そして、JR北海道も、色々と頑張ってくれています。
もう随分前のレポートになってしまった
「ちほく高原鉄道」で、ごく短い距離ですが観光公園にするという話があるとお知らせしました。
そのコメントでも触れましたが、今、もう実用化に向けて各種関連法の調整に入ろうとしている次代の乗り物が開発されています。

DMV(デュアル・モード・ビークル)

という乗り物、何がデュアルかというと「走路」です。
つまり、一般道と鉄路、これを相互に走らせてしまおうという乗り物です。

少し以前からの読者の方、覚えていらっしゃいますか?

除雪車の NICHIJO←こちらクリック

私としては、どうだ恐れ入ったか!(笑)
ってなもんですが、この会社、このDMVの開発に、JR北海道と共同で携わってもいるのですよ。


何故突然にこんな話を釧路レポートの途中に入れたかというと---
縮小されてしまった、旧釧路臨港鉄道の鉄路、今は石炭輸送専門ですが、もともとは貨物は勿論、旅客も取り扱っていて、おまけに春採湖畔は風光明媚
ここを、石炭輸送のためだけではなく産業観光用としても機能させたいという構想があり、従来の客車を持ち込むための陸路輸送コストや車両のコストや維持費などなどの問題を一挙に解決してくれる「車両」として、
このDMVが非常に有力な候補としてあがっているのです!

まぁ、そのためには、本来の荷主である釧路コールマインが、いつまでどのような規模で採炭を続けられるのかという絡みもあって、解決しなければならない問題はあるわけですが。。。
太平洋炭礦の閉山によって一挙にくたびれた街になってしまいそうな釧路、この8月には丸井今井の撤退で、デパートのない政令都市になってしまうとか、寂しい話が続いています。

でも、北海道史の観点からも、その資源価値・文化的資産という意味でも、周囲をとりまく、世界遺産にもなるほどの生態系と自然景観を守る意味でも、北海道を挙げて、いえ、国を挙げて、釧路の応援をして欲しいと思います。
多くの皆さんから叱られることを覚悟で言わせていただくと、サッカーよりもこちらを応援したい私です。

§
釧路は「竹老園」(春採湖畔)を始めとして、「東家のれん」の蕎麦がたいへん美味しいのですが、ラーメンもおいしいです。
有名処、末広町の「河むら」さん。
釧路ラーメン河むら

澄んだ、臭みのない醤油ラーメンがオススメです。
釧路河むらのラーメン

そして、しんがり・・・やはり、JAZZと美味しい珈琲
上のラーメン屋さんから出て、ほんの5分ほど歩くと
栄町公園に面したJAZZ喫茶「ジス・イズ」があります。
釧路JAZZ喫茶ジスイズ

釧路ジスイズ2

こういうJAZZ喫茶、本当に少なくなっているので、ここだけのために釧路へ行きたくなります。
釧路ジスイズ3

ここでジャムセッションも行われていて、たくさんの有名ミュージシャンも演奏のために訪れています。
釧路ジスイズ4
もちろん、丁寧に淹れられた珈琲もたいへん美味

いかがですか?
ドイツへ行かなくてもいいから、釧路へ行ってみたいと。
アレッ?・・・あはは。


[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m



ところで、私のHOMEから左欄のお気に入り一覧にもある「ふしぎの里・遠野を行く」で、なんと、このNICHIJOの記事を→昨日ご紹介いただいていました。
そのシンクロの不思議さをコメントしたりしている間に、操作ミス?で、冒頭の説明のように、書き直したという訳です。。。これもまた遠野の不思議







最終更新日  2006/06/23 03:24:53 AM
コメント(29) | コメントを書く
2006/06/14
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
先日の、最後の写真、あの場所から市内を一望できたという記憶、実は、私にはありません。
私があの写真を写すために立った場所の後ろは、炭住に住む職員へ畑として貸し出されていた辺りではなかったかと記憶しています。
つまり、下の写真の、この道の右が畑で、左側には林があったという遠い記憶です。
08ベルトコンベア
長い長いベルトコンベアが走っていますが、これは全く覚えていません。右方向がズリ山なので、この中はズリ(廃棄粉炭)がコンベア輸送されているのではないかと思いますが・・・


全長600m以上はあるというコンベアの下をくぐって振り返ると、これは低いですが、ズリ山が見えます。
09ズリ(ボタ)山
ズリ山と言う言葉は北海道のもので、九州の炭鉱ではボタ山と呼ぶ、と、一般的にはそうなっていますが、私が子どもの頃はズリ・ボタどちらも使っていました。
映画「にあんちゃん」など、九州の炭鉱(ヤマ)を題材にしたプロレタリア映画の影響かもしれません。

この「にあんちゃん」「南の島に雪が降る」などを"幻燈映画"で見た記憶があります。
労働組合が元気だった時代、TVが普及するまでは、組合主体の"幻燈映画上映"も、子どもにはたいへん楽しみな娯楽のひとつでした。

ゆきつ戻りつです。1枚目の場所から少しだけ下って選炭場を見下ろしたところです。貯水池のようになっているところは、呼び名を忘れましたが、選炭場から出る粉炭交じりの水を貯めて沈殿させている装置だと思います。
10選炭場
これは、処理の仕組み自体は大きく違うのでしょうが、昔から良く似た様子で目に焼きついている貯水槽であり、これのために、私は長い間「選炭場」のことを「洗炭場」だとばかり思っていたのです。
この貯水装置の脇に、父の勤務する「修理工場」事務所がありました。


2枚目のズリ山の見えた場所からもう少し下って振り返って、塔屋を見上げてみました。
左側のベルト、ズリ山へではなく、興津(おこつ)からの地下ベルトから選炭場への輸送ベルトかもしれませんね。。。ちょっと不明です。
輸送鉄道から青雲台
脚のギブスを外したばかりの5歳の春先、リハビリ代わりだったのでしょうか、出勤する父に連れられてこの道をぶらぶらと下って同伴出勤(!)し、事務所脇の小さなタンポポの丘で遊びながらお昼の「ボー」が鳴るのを待ちました。

あまり場所が特定されるのは好ましくないので、ここ以降の写真は掲載しません。。。

そのタンポポの丘すぐ近くの窪地に小さなアイヌの集落があり、私の幼児期から小学校低学年までの仲良しは、家の近所の子どもではなく、主にここのコタンの子達でした。
子どもとしての、あるいは人としての個性の問題だったのでしょうが、近所のどんな友よりも、このコタンの子達が、動きの良くない私に対しての気遣いに優れていて、
集落の大人たちも、常に子を見守る視線だったために、なにやらたいへん居心地が良かったのだと、長じてから理解した私です。

そのコタンに住む数家族の氏は殆んどが○○さんなので、そのコタンは○○部落と呼ばれており、子ども達は当然、氏ではなく名で呼び合っていたのですが、少し変わったその名にも、また、あきらかに異民族であるその面立ちにも何の違和感も感ぜずに、ただ、その大きな、たいへん綺麗な目には強く惹かれていました。
大人も子どもも、たった一人を除けば、とにかく優しげな、絵に描けば瞳の中にいくつも星を入れたくなるような大きく綺麗で魅力的な目を持っていて、イザベラ・バードが日本奥地紀行の中で絶賛しているのが、私にはたいへん良く理解できます。

私が怖かったたった一人の人というのは、仲の良かった子のおばあさん

今思えば怖い目ではなかったのでしょうが、独特の様式を持つ昔ながらのアイヌの家の中、小さな窓の明かりも届かないような部屋の一番奥に、いつも気配無く座っていたおばあさんの口の周りには大きな刺青があり、話す言葉も私には全く理解できなかったため、近寄ることさえできずにいました。
でも、こうして考えてみると、あの頃のコタンの中では、まだまだアイヌ語は「生きて」いたのです。
私も自分で発することは殆んどなかったものの、彼らの中で交わされるいくつかの言葉は、ごく自然に理解できていました。

残念なことに小学校に上がってから以降、多くの差別の中で、仲の良かった子も呼び名を変えて、学校では殆んど言葉を発することも無くなり、私と一緒に連れ立って帰る道すがらでは饒舌になるものの、彼女自身が一切のアイヌ語を封じ込めてしまったため、今となっては幼い時になんと呼んで遊んでいたのかさえ思い出せません。
その部分だけスッポリと記憶から抜け落ちているのは、彼女の強い思いが私に通じて、もしかしたら、呪詛をかけられたようになっているのかも知れないと思うことがあります。
小学校に入ってからは、幼い2年間に私が慈しまれた全てをかけて、私が盾となって彼女を、欠けたところがない彼女を、まるで守るような日々でした。

「理不尽」という言葉を知らないながらも、抱えていた思いは多分、ソレだったと思います。
近所の友に、なぜ「あの子と遊ぶのはやめなさい」と言われるのか?
なぜ彼女に向けて陰から石が投げられるのか?
なぜ、他の子は、彼女の柔らかな笑顔で満たされることがないのか?

こんなに可愛くて、こんなに優しくて、
こんなにも楽しいのに!


でも、私はもともとが社交的な性格だったのでしょう。
幼い時にギブスのために封じられていた同年代の多くの子達との交わりにも夢中になって、すぐに、彼女だけが友というわけではなくなり、小学校3年生の時のある事件をきっかけに学校の中で彼女の姿を目にすることがなくなったことにも、大きく動揺することも無く、ごく自然に、アイヌの友のことは「思い出」になってしまっていました。

それから10年近くたって、アイヌ民族の内からの解放運動がさかんになった頃に初めて、小学生の私が感じた悲しみと怒りの正体に気付きました。
その当時の友にもっともっと寄り添えなかったことを悔やみ、民族から言葉を奪い去ることの罪の大きさを、どんな形でもいいから、私が伝えられる限りのところで伝えたいと思うようになりました。
■「魔神の海」前川康男著 ■ を読んだことも、この気持ちを後押ししてくれました。


今回の釧路行きでは、「友よ、済まぬ」の思いを新たにするためにも、青雲台の高台からコタンのあった窪地への道をどうしても辿りたかったのです。
また、「札幌こどもミュージカルグループ」での活動に何故あそこまで入れ込んだのか、わが子にだけはどうしても知って欲しいので、いつもにも増して個人的なことですが、ここに書き記しておきます。




指導者の細川真理子先生に深く感謝!

☆また、
  6歳~70歳までとたいへん幅広く
  しかもわずか数十名の聴衆であるにも関わらず、
  飽きさせることなく、2時間もの講演をして下さった
  『南方熊楠』研究で広く世に知られる
  鶴見和子さん
に心からの賛辞を!!

☆さらに、
  グループの子達に楽しい交流を経験させてくださり
  ムックリを伝えてくださった
  二風谷のみなさんに心からお礼をお申し上げます。



【わが子へ】こういう思いを抱える母としては、
コミック「うしおととら (藤田和日郎)」、たいへん面白い漫画ですが面白いだけに、アイヌ民族に関する安易な記述と誤った概念を伝える内容が残念で、あそこで譲ることはできなかったのですヨ(T_T)



[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m




なお、前々回の「炭鉱展示館模擬坑道」の様子で、私の写真を見ただけでは、実際の機械の動きが充分ご理解いただけなかったのではないかと思いますので、採炭の様子の動画をたくさん掲載しているコンテンツをご紹介します。
くしろ石炭.COM「採炭の様子」動画ページ←こちらから






最終更新日  2006/06/15 12:52:32 PM
コメント(20) | コメントを書く
2006/06/12
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
やっと、書けます。

でも、なんちゃって です。

時間がないといいながら、ほとんどお尻に根が生えたようにパソコンに向う作業の毎日なので、数々の現実逃避で、いつもより皆さんのところへの書き込みが増えているかもしれません。
ヨソ様のブログ訪問は、どうしてこんなに楽しいのでしょう。。。

この暑さ、入梅。いくらなんでも、雪景色のレポートは、とっとと終わらせなければなりませんよね。

今日は、青雲台から下ったところにある釧路コールマイン株式会社選炭工場脇の「太平石炭販売輸送」の車両を少しご紹介したいと思います。
旧釧路臨港鉄道の縮小された路線、春採から知人(しりと)までの約4キロを、石炭輸送専門の貨物車として運用している路線に使われている車両です。

こちら側が、春採にある釧路コールマインの事務所に通じるところかと思うのですが。
この踏み切りは道路には面しておりません。
右後方の建物に「まりも」と見えていますが、これが、表通り(車道)に面して建っている、「まりも交通」の事務所の側面という、位置関係ですね。
01春採まりも交通脇踏み切り

ここに留め置かれた列車を狙いたければ日曜日春採湖畔を走る雄姿を撮りたければ日曜日以外というのが撮り鉄さんのセオリーみたいです(笑)
(それでも4キロなので、走っている時間そのものはわずか10分そこそこ。事前に問い合わせて、運行状況をお訊ねする方が良いですね。)
私が訪れた時間は、待機のディーゼル車がポツンポツンと留め置かれた状態でしたが、それでも「セキ」が1ユニット、残されていたのはラッキーでした。
そうそう、この前夜、夜間も走っていたのですが、素晴らしかったです。
夜間撮影された姿、広いネット上でも、私が見つけたのは夕方のものが1枚だけでしたので、今後の方に大いに期待したいところです。

D401ディーゼル機関車です。許可をいただいて構内に入ったわけではないので、これがギリギリ。
02D401ディーゼル機関車


こちらが、どうしても撮っておきたかった「セキ」。日本で現役で使われているのは、ここ太平洋石炭輸送でのみです。左がセキ6025(奇数・A車:春採側)30t、右がセキ6026(偶数・B車:知人側)30t、併せて60tの積載量です。
03セキ6025-30t
2両で1ユニットの石炭専用の貨物車ですが、台車が特徴的です。

連接車といい、2両が、連結器ではなく1台の台車で繋げられています。
なので、2両で3台車・・・真横からでないと、少しわかりづらいですね。画質もひどいですが、参考の為に掲載します。
上から石炭を積んで、貯炭場に着くと、セキ6025文字の下部全面がカパッと開いて、積載した石炭をザァーッと下へ流し落とすはずですが、手前部分ではなく向こう側が開くのかもしれません。
04セキ連接車両


これが良く分かりません。貨物車+コンテナ車(?)のようなのですが、通常の貨物輸送は廃業していますので、整備して保管・展示の予定のものかもしれません。
05貨物車


奥のディーゼルは、D701のようにも見えますが、手前の、私の足元の前方地面をご覧下さい・・・
写っていない、私の立ち位置は、溶けかかった20cmくらいの雪で、その下は石炭の粉塵からなる厚くて柔らかい汚泥。白っぽい春靴は無残なことになっていて、これ以上、一歩でも歩を進めると、足首まで真っ黒い石炭の汚泥に浸かりそうな状態でした。
06凍結防止剤散布車
(手前の黄色いものは、凍結防止剤が積まれた散布車とのことです)
左上に見えるのが、多分

ナロー(609?610?)用の架線

だと思うのですが、今まだ現役で動いているという凸デンがここの選炭場での作業用なのか、それとも坑口付近なのか・・・
で、どうやらガシガシと現役で働いているナローの凸デンを見学したければ、事前にコールマインさんに問い合わせをすると、たいへん親切な対応をしてくださるとの話も聞いております。
「記録化事業」への協力の一環なのかなぁ、嬉しいことです。
やはり、日曜日以外で、事前に見学希望を出しておいたほうが良さそうですね。
(ここは、確か、今はもう動いていない筈なので、興津抗口付近の可能性があります)

いずれにしても作業現場を見せていただくので十分な配慮は当然なのですが、高い技術力と非常に高水準な安全対策を誇り、ベトナム・中国・インドネシアなどへの技術指導や、修学旅行生への坑内見学などを実践している釧路コールマインなので、誠実な申し込みに対しては非常に前向きな対応をしていただけると思われます。


この春採湖付近を、「道路や建物の様子はすっかり変わっても、カーブのひとつひとつは全く同じねぇ。」などと言いながら車で回ってもらったので、道順を良く覚えていないのですが、ここの写真を撮ってからチャランケチャシの方へ回って、その後、城山小学校方面へ向ってもらったのだったと記憶しています。

私は事前準備もなく、城山小学校へは入らなかったのですが、釧路市の地域資料室では保管しきれない膨大な量の、「炭鉱資料分室」ともいうべき量の資料展示が、ここの小学校にされているとのことです。
城山小学校の資料見学は、やはり事前に、釧路市総務部地域資料室への申し込みをしておく必要があるそうです。(基本的には、特段の資格も理由も無用で、一般人可です)

最後に、青雲台方面から(?)冒頭の踏み切りまで下ってきた道筋から。
高台から見た炭鉱事務所関連施設越しの釧路市内です。
07青雲台から街並み




[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m



明日は、この高台から少し下った場所を数枚と、この場所へ立った理由を少し。







最終更新日  2006/06/13 05:34:36 AM
コメント(16) | コメントを書く
2006/06/01
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
早く坑道へ入れと、みなさん、仰せです。降ります。
降りた右手のヘルメットです。
(スミマセンわかりますよね。。。。。)
炭鉱展示館10

往時の太平洋炭礦では、従業員の家庭の婦人達を、たまに「坑道」へ招待していたそうです。
私が居た頃では考えられないことですが。
好奇心いっぱいの叔母はそのようなイベントに参加したかったらしいのですが、叔父は、それだけは駄目だと。

今回、人車の写真が無いのですが、日々、ヘルメットを被って人車に乗り込むことは、何十年やっても嫌なものだと語っていましたので、その「坑」へ叔母を踏み込ませたくなかった叔父の気持ちは良く分かります。
階段を降りてすぐのところにトロッコの牽引車です。
炭鉱展示館11


脇を通ります。
炭鉱展示館12

曳かれるトロッコ側からです。
炭鉱展示館13
(実際のトロッコは、もっとたくさん繋がっていた筈です・・・)

シャトルカー・・これは現地からも1枚写真を載せてありますね。
炭鉱展示館14
上のパイプ(ホース)、コレで空気を送り込むのだったと思います。(吸い込みではなかったはず)

先がどうなっているかといいますと・・・
炭鉱展示館15
これが目の前にあるのは、たいへんな迫力でした。

削りながら進み、削った炭は、次の写真が分かりやすいかと思います。
炭鉱展示館16

ちょっと前後しますが、上の階にあった、パネル
太平洋の海底炭は、非常に優良な石炭でもあります。
炭鉱展示館17
係員の方に、SL湿原号に使われている燃料のことを訊ねましたが、多分、今コールマインが技術指導しているアジア各国の輸入炭の混合だろうとのことでした。
つまり、ここの石炭は質が良い分、高価で、SLの採算が合わないとのことでした。

さぁ、極めつけです。
炭鉱展示館18
壁側の掘削機なのですが・・・・先は、

こうなっていいます。
炭鉱展示館19
まだわかりにくいですね。

一見して迫力が無さそうですが、それは私の写真がヘタだからです。
これは自走式の掘削機で、高さは人の背丈を優に越えます。
炭鉱展示館20
簡単に言えば、この機材全体が、掘りながら、自らが坑道の天井を支えながら、進む仕組みです。
もうちょっと良い角度で撮りたかったのですが・・・・・

実は、私は、幼い頃からの周りの大人たちの「脅し」が強すぎたせいか、「坑道」は極端に苦手
この上は展示館なのに、今にも落盤して、海の水がどこぞからドッと押し寄せてきそうで、怖いのです。

これを見てしまったら、もう駄目。叔父の声が甦ります。
炭鉱展示館21
そうそうに退散しました。

この日の気温はそれほど低くなかったのですが、地下はさすがにたいへん冷えました。
次回は、外へ出て、青雲台から選炭場方面へ下って、石炭輸送の鉄道をチラリと。


[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m


こちらから→釧路市の公式HP
ここの中の[ようこそ釧路へ]「日本唯一の炭鉱 」をクリックして、
さらに「釧路炭田」をクリックすると、CDの内容がそのまま見られます。
出だしの音量にご注意くださいね。






最終更新日  2006/06/02 12:30:53 AM
コメント(17) | コメントを書く
2006/05/31
カテゴリ:TRIP & TRAVEL
-太平洋炭礦-の「炭鉱展示館」レポートですが・・・

本日、言葉も無いほどの感激に襲われました。
手許に、たいへん貴重な資料が届きました。

釧路市の地域資料室、ご担当様へ謹んでお礼を述べさせていただきます。

ありがとうございました。

お借りした形になっているものについては、大切に読ませていただいた後に返送申し上げます。

************************

私が、寝台車で母を釧路へと思い立って、どうせなら、私も幼い頃の思い出の場所を探索してこようと調べ始めたのが、この2月20日過ぎ。
調べたとは云っても、ご存知のように、私の調査は、もっぱら目の前にある、液晶画面のついた「魔法の箱」だけが頼りです。
この魔法の箱は、情報の宝庫ではありますが、その情報は膨大でありすぎるため、自分の欲しい資料だけを選りすぐるのがたいへんです。
漠然とした検索は、検索エンジン提供会社のスポンサーの思惑に嵌まるだけで、資料価値のあるものには辿り着けません。
ですから、「データベース検索技術者」いわゆるサーチャーの国家試験があるわけですね。

私は、その国家試験が「業務独占資格」認定ではないことを理由に、受けてはいませんが、多分優れた検索技術を持っていると、これは密かに自負しています。
そこで、持てる技術を駆使して、「私の三丁目の夕日」に迫るべく、思いつく限りのキーワードでの絞込み検索で、ある貴重な資料に出会いました。
そこを見るだけで、釧路で過ごした子ども時代が、忘れていた地名や空気の匂いまでもが甦る思いがしたほどです。

その資料のサイトをお気に入りに入れて、さらに、その中に置かれたいくつかの場所をキーワードとして、検索。
ims工房のHP立ち上げを3月1日にどうしてもしたかったのと併せて、完全なコンピュータオタクと化した2月下旬でした。
コンピュータソフトを始めたばかりの30年前に迫る、睡眠不足の日々でしたが、充実していました。

あーぁ、それなのに、です

釧路へ行って、叔母や従妹たちにもぜひ見てもらいたい、母にももちろん見てもらおうとしていたのに、そのページは、すでに削除されていて、深く失望・・・
膨大な量だった為に(CD1枚をサイトアップしていた)、逆にe-bookとしてのファイル保存もしていませんでした。

今回、あきらめきれずに再度 探してみたところ、違うURLで、不完全ながらも見つけることができてたいへん嬉しく、今度は後悔のないよう、正規にCDを手に入れたいと制作会社に連絡し・・・・・

釧路に縁ある者として、他の冊子も含めて、送って頂くことができました!

冒頭のお礼の言葉は、そのことへの感謝の思いを述べたものです。

さらに、今回は幸いなことに、釧路市の公式ホームページの中にCD情報が置かれているため、インターネット上からなくなることはなさそうです。
はじめて、日頃お世話になっているウィキペディアの編集にも、リンク切れの修正で投稿しました(^_^)v

(実は、これが、たまらなく嬉しい♪ 分かる方にはご理解いただけるかと!)

釧路市のURL、最後にご紹介しますね。圧巻の写真集・資料集です。


§
さて、従妹のA美ちゃん、主婦の貴重な時間をタップリ割いての案内、ありがとうね!!
あの時に撮った写真です♪

青雲台のヒルズトップ。この、何とも近未来的な塔は、なんのことはない、NTTの基地局のものでした。この塔の下にひっそりとあるのが「炭鉱展示館」です。
炭鉱展示館01

炭鉱展示館の入り口の展示物、6トンの石炭の塊です。
炭鉱展示館02
6トン、これがひとつの塊。大きいけれど、見た限りでは、あっと驚くような大きさでもなく、砕かれた6トンの石炭の量とは随分ボリュームが違って見えました。

私の子ども頃、炭住(炭鉱の社宅)の各家庭には、大きなトラックが月に1度横付けされ、ダンプカーの荷台を傾けてザァーッと、約1トンの石炭を置いていってくれていました。それを石炭箱にしまい込むのは、どこの家庭でも、子どもも手伝わされていたものです。
その6家庭分の量と、頭の中で比較しての話です。


ジオラマ。これを先に見ておくと、各所に散らばった施設と地形の関係が頭に入って、探索にはもってこいですね。
炭鉱展示館03

やはり、ここでも私は線路が気になります(爆)
これは、全国の「鉄」をひきつけてやまない釧路臨港鉄道が縮小して、今の「太平洋石炭販売輸送」になった際に撤去されたレールです。
炭鉱展示館04
1887年製ですから、標茶駅のアメリカ イリノイのものよりさらに10年遡ります。
いえ、本当に、これだけ刻印がきちんと残っている、イギリス CAMMELL STEEL の、1880年代のものは、貴重な資料価値があるのですよ!
なのに・・・刻印の一番右側の写真が失敗写真で、発注者刻印が読めません(泣
文字数からすると北海道官設鉄道(H.R.)ではなく、Imperail の がついている可能性があります。

すみません、ちょっと趣味的に過ぎました・・・

こんなものも展示してありました!
私がこどの頃に家庭で一般的に使われて「ルンペンストーブ」にごく近い形です。
ルンペンストーブは、このような鋳鉄ではなくもっと薄くて軽いものでしたが、これが原型なのでしょうか。
炭鉱展示館05

選炭工場の全景です。
炭鉱展示館06
左上に、チラリと見える
そう、この奥に地下へおりる階段があって、模擬坑道が機材と共にしつらえてあるのです!


この階段の下、明日のご紹介にします。
炭鉱展示館07

ゾクゾクします。

[生活・趣味]ランキングに登録しています
mamanからのクリックお願いバナーここをクリックで1票です
どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m


こちらから→釧路市の公式HP


ここの中の[ようこそ釧路へ]「日本唯一の炭鉱 」をクリックして、
さらに「釧路炭田」をクリックすると、CDの内容がそのまま見られます。
出だしの音量にご注意くださいね。

A美ちゃん、S子叔母さんにぜひ、このサイトを!






最終更新日  2006/06/23 03:39:40 AM
コメント(11) | コメントを書く

全67件 (67件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 7 >


© Rakuten Group, Inc.