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健全な男女共同参画を考える!

健全な男女共同参画を考える!

教育図書の家庭基礎は、ジェンダーフリー

教育図書(家庭基礎).jpg

教育図書の家庭基礎(総合)は、ジェンダーフリーだ!

教育図書 高等学校・家庭基礎(042)18年検定済み
1、家族に出会う 2)家族のとらえ方 (1)異文化の中の家族(P95)
に、次のコラムが紹介されている。
 

 コラム:ヘヤー・インディアン(カナダ北西部・1960年代)の家族 
第一に,「家族は同じ屋根の下で住むことが自然だ」という気持ちが弱い。獲物の分散状態や,皮なめしの都合などで臨機応変に夫婦親子が分散し,ときには男だけのテント仲間,ときには女だけのテント仲間を構成する。(中略)
 第二に,「男女の同棲は,あくまでも気の合っている間だけ続けばいい」という気持ちが流れていることだ。(中略)年老いてなお,同じ相手と楽しく暮らしているラクー夫妻のような夫婦であれば,「彼等はたまたま気が合ったから,ああしていられるのだ」と,周囲の者も,本人達も考えている。(中略)
 第三に,「嬰児は,その子を生んだ母親が育てなければならない」という大前提が存在しない。「子どもは,育てられるものが育てればいい」のであって,「それが実の母なら望ましいが,何も実の母に限ることはない」という考え方である。(中略)「生まれてすぐは,父方の祖母に育てられて,隣のテントのおばさんから乳をもらい,それから母の妹の所で暮らして,七つの頃,一時母親と暮らしたけれど,あとは母の兄の家族と暮らして,今の夫と結婚した」というような話がよくある。このような西洋や日本でなら「家なき子」として悲劇の主人公になりうるような場合でも,ヘヤー社会では決して悲劇と考えられない。(中略)
 第四に,ヘヤー社会では,個人主義が徹底しているので,日本で見られるように,集団に心理的に依存する度合いが少ない。(中略)子どもたちは,小さい頃から,「自分で生きなければ,だれも最後には助けてくれないよ。一人で氷を歩いているとき,ホツキョクグマに会ったらどうする? 寒くて飢え死にしそうな時,自分の力で生き抜いて,食べ物をさがさなければならないんだよ」とまわりの大人たちからいわれつづける。
 3歳の子が,刃物をもって遊んでいると,大人は,手を切ることもあるが,お前が遊びたいならお遊び。あとで痛くても知らないよといって自分の判断にまかせる。(後略)
                      (原ひろ子『家族の文化詩』より)

(こんちゃんのコメント)
高校生に、家族の姿を考えさせようというのが、教科書のテーマだと思うのだが、ヘアー・インディアンという、かなり特殊な人たち(少なくとも私は今回初めて知ったし、原ひろ子氏自身も別の著書で、「1988年現在のカナダでも、ヘアー・インディアンの名前はそう知られてはいない」と述べている)の家族像を紹介している。原ひろ子氏が、ヘアー・インディアンの調査を行ったのは、1961~63年だ。当時、ヘアー・インディアンの人口は、350人ほどだったらしい、また、その居住(生活)区域は、カナダ西北部の北緯66度あたりで、アラスカに近い地域だ。その生活は、主にウサギ、カリブ、ムースなどの狩猟を主な生業としている。
年月の流れの早い昨今から見れば、45年ほど前というと、相当昔になる。ヘアー・インディアンの人たちの生活、家族のあり方も現在大きく変わっているかもしれない。果たして、このコラムは、正しい(価値ある)情報を提供していることになるのだろうか?それとも、情報操作を意図したものなのだろうか?
普通なら、標準的な家族像を紹介するものだと思うが、著者(教科書の)は、普通の家族を嫌悪しているとしか思えない。ジェンダー(ジェンダー・フリー)の臭いがぷんぷんする。
因みに、このコラムの著者の原ひろ子氏は、ジェンダー論の学者(1934年生まれ)である。また、引用されている『家族の文化詩』は、1986年初版発行。教科書に、20年以上前に発行された本からの引用をわざわざ持ってくるには、何らかの強い意図があるといわざるを得ない。
(『家族の文化詩』は、福井県立図書館では、あまり借り手がないらしく、書庫から、わざわざ出してきてもらった。)
教育図書へは、上記の点、問い合わせするつもりです。ぜひ、皆様からもお願いします。


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