<五輪柔道>金の内柴選手「すべては家族のため」
<五輪柔道>金の内柴選手「すべては家族のため」8月10日21時30分配信 毎日新聞 「あかりー」「ひかるー」。畳を下りると、両手をメガホンにして、大歓声の観客席に向かって3回、4回と妻や長男を呼んだ。 肩車された4歳の輝(ひかる)ちゃんは、きょとんとした表情で遠くの父を見ている。妻あかりさん(28)は真っ赤になった目にタオルを当て「報われてよかった。家族、仲間、熊本の人、今まで見てきてくれた人、そんな人々のために今回もやったと思う」と話した。「必勝」のはちまきを額に巻いて応援した父孝さん(58)は「やった、やったよ、どうだ!」と声を張り上げた。 北京で日本勢初の金メダルを獲得した内柴選手。「試合を楽しみたい」などと口にする選手が多い中、クールに柔道に向き合ってきた。「すべては家族のため」と。 04年アテネ五輪までは、周りの期待度は低かった。五輪初出場が決まった時、古里の熊本県で応援団長になってくれる人を探すのにも苦労した。オール一本勝ちで金メダルを取り、人生が変わると思った。だが甘くはなかった。その後、低迷の時期が続いた。 それでも柔道をやめなかった。好きだからではない。「柔道で飯を食っているから。できることは柔道しかないから」 その姿勢は孝さんの背中で学んだ。建設会社を起こし、人に頭を下げながら一家を養ってきた孝さんはよく言っていた。「こんなきつい仕事も、お前らがいたからやれたんだ」。子供のころからずっと、柔道の試合は進学や就職の試験だと思って臨んできた。 あかりさんは、柔道整復師の資格を取るため、専門学校に通っている。家事と育児に追われながら、時間をやりくりして勉強する姿に強く思う。「家族が互いに、やれることを精いっぱい努力する。僕は柔道をやる」 アテネ五輪の開幕直前に生まれた輝ちゃん。「息子の年の数だけ、苦しみながら戦ってきた」と話していた内柴選手。試合直前には「息子がしっかり自分の道を歩んでいけるように、僕は頑張る」と語った。柔道は仕事。仕事とは懸命に生きること。北京の畳の上で、大事な家族にはっきりとそう示した。 戦いを終えた内柴選手は充実しきった表情でこう言った。「おやじなんで、おやじの仕事をしっかりやりました」