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2016.03.11
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カテゴリ:ちょっといい話

<震災5年>見てて ばあちゃん 地震・津波研究へ

毎日新聞 3月10日(木)22時29分配信


<震災5年>見てて ばあちゃん 地震・津波研究へ


「震災がなかったらこの道は歩んでいなかったと思う」。福田栞さんは津波の研究を志す=盛岡市の岩手大で、小川昌宏撮影


 東日本大震災から11日で5年。大切な人を失った「あの日」。同じ思いを繰り返したくないと、津波や地震の研究を目指す大学生。子どもたちに励まされ起業した父。仮設住宅で1人暮らしの祖父は今も後悔が消えない。大切な人への思いを胸に、それぞれの5年を迎えた。

 キャンパスを冷たく澄んだ空気が包んでいた。宮城県多賀城市出身の岩手大工学部1年、福田栞さん(19)はここで津波や地震の研究をしようと決めている。「もう誰にも同じ思いをさせないために」。進路を選ばせたのは、東日本大震災での祖母とのつらい別れだった。

 2011年3月11日、中学2年だった福田さんは帰宅後、居間でテレビを見ていた。隣の和室には祖母マシノさん(当時73歳)がいる。普段と変わらない午後を揺れが襲った。

 母がパート先から戻り小学5年の妹も帰ってきた。家の片付けをしていると「逃げろ」と外で声がした。母の車で高台を目指したが、渋滞する道路で津波にのまれた。

 家族はばらばらになり、周囲の車の上へ逃れた。深夜になって自衛隊のボートが救助に来た。そこにうずくまる祖母の姿もあった。姉妹と祖母は近くのマンションの2階へ引き上げられた。

 「また波が来るぞ」。誰かの声で大勢の人が上の階へ逃げ、福田さんも妹の手を引いて階段を上った。このために祖母とはぐれてしまう。水が引くまでの二晩ほどをマンションの一室で耐えた。

 マンションを出て避難所で両親と再会できた。だが、母の言葉にはっとした。「おばあちゃんはどうしたの」。祖母は救助されて無事だとばかり思っていた。「私、置いて逃げてきちゃった」

 祖母の遺体はあのマンションの奥の通路で見つかった。大量の水を飲んで体温が下がった祖母を助けようとした人がいたのだろう。毛布にくるまれていた。自分は気づかずに避難所へ逃れた。葬儀の日、大好きな父の涙を見た。「私のせいだ」

 「祖母を置き去りにしたことを他人に知られたら」と不安になった。中学3年の時、被災をテーマに作文を書かされた。姉妹でボートから救助された後は<迷子になった>ことにした。市の弁論大会に出た時も<祖母を亡くしたけどいろんな人の支援に支えられた>とごまかした。ほめてくれる人もいた。だが、自己嫌悪だけが募った。

 母も避難が遅れたと自分を責めていた。祖母の最期を家族で話すことはなかった。

 福田さんに転機が訪れたのは高校1年の夏だ。内陸に住む同級生と震災について話していた時、何気ないひと言が胸に刺さった。「震災どうってことなかったよね」。県全体を見渡せば家族や家を失った人は一部だ。「大事なことが伝わっていないんだ」と感じた。

 街に津波の高さを記す表示板を張って回る校内の防災活動に加わる。「こういう活動をしていれば、おばあちゃんが許してくれるかな」と思った。被災した学生らを支援する民間団体「ビヨンドトゥモロー」の活動にも参加してみた。同世代の若者に祖母との別れを打ち明けると、一緒に泣いてくれた。「話しても大丈夫なんだ」

 3年生になり、進路に迷っていた時、両親から「何が一番学びたいの」と聞かれた。

 「津波や地震のことをもっと知りたい」。それしか浮かばなかった。「引きずって生きることにならないか」とためらう気持ちもあったが、考えた末に選んだ先は、津波や地震が専門の研究室がある岩手大(盛岡市)だった。3年生から研究室に入り、卒業後は公務員として災害に強いまちづくりなどに携わりたい。「自分みたいに後悔したり、つらい思いをしたりする人を減らしたい」。今は素直にそう思える。

 乗り越えたわけではない。優しい祖母が好きだったのに、ふと顔を思い出せない自分に気づいて泣く日もあった。「『5年もたって何やってるの』と思われるかもしれない。でも私はやっとスタートラインに立ったぐらい」

 11日は多賀城で追悼式に参列する。祖母に伝えたい。「ごめんなさい」。そして「元気でやってるよ」と。【竹内良和】





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Last updated  2016.03.11 11:11:51
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