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2016.12.31
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カテゴリ:ちょっといい話
滅び去った日本文化・・・私たちが守るべきもの

 開国と明治政府の樹立によって、旧来の日本の文化が崩壊し、西洋文明に蹂躙されていったのは理学、工学の世界だけではなかった。日本という世界でも珍しい文化を持った民族が西洋の波に大きく飲み込まれていくのである。

 明治維新に日本を訪れた欧米人が当時の日本を描写したものを渡辺京二さんが「逝きし日の面影」という本にまとめている。

 ……イギリス大使オールコック

 「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらの良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏してる土地とはまったく信じられない。むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民は居ないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得なかった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」

……カッテンディーケ

 「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。」

……ハリス駐日アメリカ大使。一八五七年。

 「彼らは皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者も居ない。―――これがおそらく人民の本当の幸福の姿と言うものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所為であるかどうか、疑わしいくなる。

私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」

……スイスの遣日使節団長アンベールは自国の職人の回顧と共にこう言っている。

 「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきててる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。

彼らには、その仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。」

……リンダウ。長崎近郊の農家にて。一八五八年。

 「火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子が慌てて火鉢を持ってきてくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰をかけるように勧め、母親は丁寧に挨拶をして、お茶を出してくれる。

家族全員が私の周りに集まり、子供っぽい好奇心で私をジロジロ見るのだった。……幾つかのボタンを与えると、子供達はすっかり喜ぶのだった。「大変ありがとう」と皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて可愛い頭を下げて優しくほほえむのだったが、社会の下層階級の中でそんな態度に出会うのは、全くの驚きだった。

私が遠ざかって行くと、道のはずれまで送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ「さようなら、またみょうにち」と私に叫んでいる。あの友情のこもった声が聞こえるのである」

……モース「日本人の住まい」

 「鍵を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りをしても、触っていけないものは決して手を触れぬ。」

 イライザ・シッドモア。一八八四年からしばしば日本を訪れる。

 「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。

子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」

 幕末の日本とほぼ同時期のイギリスは世界制覇の勢いを持っていたが、エンゲルスは「イギリスにおける労働者階級の状態」(一八四五年)でイギリスの都市を描写する。

 「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化の悪い食料が与えられる。

貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に披露してしまうまで酷使される。」

 明治の日本は文化、科学、工学など西洋文化を取り入れ、「文明開化」と呼んで欧米の支配を逃れた。確かに、それは成功したように見える。むしろ、力を蓄えた日本は日清戦争で清の艦隊を殲滅した。

海軍を創生して何とか国力の向上を目指していた清はこの戦いで完全に海軍を失い、二度と再び制海権を得ることができなかった。日本は、それ以降、太平洋戦争に至るまで日本はアジアの雄として、中国、ベトナム、フィリッピンなどを欧米の代わりに占領して日本の植民地としたのである。

 江戸末期の外人が記録した光景の中には、われわれが子供の頃の体験の中にも僅かに残っている。時には激しい台風や家庭の不幸に見舞われたりはしたが、それは例外的なことで、生活のほとんどは「楽しい日本」であったのだ。それが今では生活の中で楽しいことが例外的になり、忙しく辛く、疲れることが日常的でもある。

 ベーコンが「自然科学は自然を明らかにすることによって人類の福祉に貢献する」というのは正しかったのであろうか?蒸気機関と鐵の生産力はヨーロッパの悲惨な生活を追放したように見える。確かに、国民統計などの数字の上では乳幼児の死亡率、平均寿命、文盲率、エンゲル係数などは著しく向上した。

 エンゲルスは工業化以前のイギリスの織布工の生活を次のように描写している。

 「労働者は全く快適な生活を楽しみながら、のんびりと暮らし、極めて信心深くかつまじめに、正直で静かな生活をおくった。かれらの物質的な地位は、その後継者の地位よりもはるかによかった。彼らは過度に働く必要はなく、彼らはしたいと思った事以上はしなかったが、それでも必要なだけは手に入れていた。」

 このエンゲルスの記述は先に示した幕末の日本の職人の生活に極度に似ているが、工業化以降のイギリスの労働者とは全く違う。工業は見かけの数字だけを良くし、工学のもたらした生産性の向上による富は国民に均等に分配されず、一握りの富んだ商人の醜い道徳が国民全体に苦しみを与えたのである。

 松蔭のおかげで植民地化を逃れた日本は、アジアでももっとも進んだ国として、先進国の仲間入りをしている。これはとりもなおさず松蔭のおかげである。工業は進展し、見かけ上の繁栄が日本を覆っている。

しかし、同時にはっきりしていることは、われわれは物質的な繁栄と植民地化されなかったという幸運とともに、本来日本人が持っていた優れた精神的風土を捨ててきたのである。科学、工学とはそこに住んでいる人の必要もないのに、むやみに橋を造ったり、文化財を壊してコンクリートで固めた建造物を造ったりすることではない。

もし、そのようなことが行われても、それは工学がなしたものではなく、一部の富んだ商人のたくらみに過ぎない。工学はベーコンが宣言したように「人類の福祉に役立つ」ものであり、決して醜い商人の手先でないことを「工学ルネッサンス」が示すことになろう。

 そうであるからと言って本論は工学が社会になしたことを否定しようとするものではない。確かに工学は人間の福祉に貢献できる。日本の昔の家庭にあるトイレは汚く、不潔であった。それが今ではきれいな水洗トイレになった。それを主婦は喜んでいるだろう。トイレに水道を引くには土木工学、機械工学、電気工学、材料工学の学問が必要である。

 中世のヨーロッパでは足を手術するときには麻酔も掛けずにノコギリで切断した。苦しみ藻掻く患者を数人で押さえつけ、牧師様が足をノコギリで切れらる患者の頭に手を当てて、主の恵みを願う。それが今では清潔な手術室で最低の苦痛で手術を受けることができる。手術は医学の進歩だけでは行えない。電力、電子、機械、材料、化学、建築などの多くの工学が必要である。

 テレビの功罪は複雑ではあるが、良い映像が提供されれば、そこに演じられる音楽や演劇は私たちの生活の質を上げるという点では異論は無いであろう。

 しかし、一方では工学は汗して働く機械を奪い、社会をより複雑し、素朴な人間の楽しみ、幸福を奪う手伝いをしたことも確かである。工学の評価はそれをまとめて論じたり、適否をある側面からのみ述べることはふさわしくない。工学の要素を一つ一つ取り上げて、人類に真に役立つ工学だけ取り上げることが人間の知恵であろう。

 また、日本の精神の崩壊の総てを工学に委ねるわけにもいかない。松蔭が日本を植民地化から救ってくれたのだから、われわれは知恵をもって「一握りの悪徳商人」にならないようにしなければいけない。日本には江戸時代の豊かな文化の香りが残っている地域が多い。それを単に効率的に生活できるという理由で破壊してはいけない。

日本の文化はその地方の人たちだけのものではなく、日本人全体の宝であるからである。しかし文化を残すのは容易ではない。具体的な事実を前にすると、文化を壊してより効率的な方法を採りたくなる。

 しかし、現在でも世界で珍しいと言われた日本人の高い倫理観、社会の安全は多少、保たれている。たとえば自動販売機を置ける国は世界では少ない。文化が優れ、世界を征服したと言ってもその欧米で自動販売機をおくとすぐ壊されてしまうのである。また、女性が夜、不安もなく歩けるのも日本だけである。アメリカは暴力と犯罪が生活を覆っている。そんな文明が日本より優れているとは言えない。

 もし日本人が世界でも特別であると言われるこの高い道徳性に基づく現在の快適な生活を失ったら、日本はその心、その形、その内容まで西洋化され、日本国という形骸のみが残っているに過ぎなくなる。それは松蔭が命を懸けて守ろうとした日本であったのだろうか。

 松蔭が守ろうとした日本は、潔い正直な日本人、美しい自然の日本国土、そして尊敬すべき日本の文化であった。松蔭が守ろうとしたのは、本論のはじめに掲げた松蔭の句の、まさに「大和魂」なのであって、南蛮夷荻の魂ではない。

礼節を忘れた若者、鍵を掛けなければ外出できない町、文化財の上に掛ける道路、それが平気で行われるような日本なら、日本を守ろうとした松蔭の死は無駄になろう。

 最後に、松蔭によって救ってもらったわれわれの魂は、今や松蔭の崇高な魂に及びもつかないほど汚れてしまったことを、松蔭辞世の歌に読みとることとする。

「生死を超越しても残るは、なお祖国の運命である。彼は入江杉蔵にあてて、祖国永遠の運命を託すべき人材養成の一助として、尊攘堂と学習院の建設・振興を依頼して死を待つのである。」(奈良本)

 今や日本男児の中に、死を賭しても祖国の運命を守る、という気概をもって仕事に当たっている人を見出すのは困難である。

生死由来宜しき所に任す、
夫の天命を楽しんで復たなにをか疑はん。
皇道の陵夷、夷狄の熾
成さんと欲す日本真男児

                                             おわり



主な引用資料

一、 古川 薫「覇道の鷲 毛利元就」新潮社(一九九六)

二、 奈良本辰也「吉田松陰」岩波文庫(一九九三)

三、 武田楠雄、「維新と科学」岩波新書(一九七六)

四、 渡辺京二「われら失いし世界」エコノミスト(一九九五)

五、 ツバイク・シュテファン「歴史の決定的瞬間」 (辻 星訳)白水社(一九七一)
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Last updated  2016.12.31 12:23:43
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