「惜別・姫野さん」ー徳島新聞夕刊コラムぞめきより
10/25付徳島新聞(夕刊)ぞめき、(信)さんが書かれたコラムです。ご本人の了解の元転載させていただきました。 姫野雅義さんが亡くなられた。市民運動の卓越したリーダーで、今後の活躍も期待されていた。人なつっこい笑顔が目に浮かぶ。 彼が広く注目されたのは、吉野川第十堰の可動堰化をめぐる市民運動を通じてだ。河川事業という難しい領域に多くの市民を引き寄せ、住民投票というしなやかな手法で対立を収束させた。その天才的な運動論は、事業賛否の立場を超えて共感を呼んだ。 ダム事業は河川を大規模に改造するので、激しく意見が対立する。事業に反対する運動が各地に発生する。その担い手がダム・ファイター。彼はその一員で、予てから理論家として一目置かれる存在だった。伝説的なダム・ファイターでは室原知幸が知られる。彼は熊本と大分の県境に作られた下筌ダム反対運動を率いた。室原は「情に叶い理に叶い法に叶い」と、公共事業の理念を叫んだ。また「法には法、暴力には暴力」という姿勢を貫き、次々と訴訟を起こしてダム計画の阻止を試みた。最後は「蜂の巣城」に立て籠もり物理的に抵抗した。だが、公共事業にブレーキはなく、粛々と事業が進む中、彼は孤立し、憤死した。その悲劇を繰り返さぬことが双方の課題となった。 公共事業とはみんなのための事業だ。だから、先進国では事業の計画・施行・供用の過程に住民の参加を求めている。公共事業の主たる担当機関・建設省(後に国土交通省)も90年代半ばからその方策を模索している。情報公開・事業評価・民意反映などの手法が次第に提案され、遅々としてだが「鉄の三角形」の支配が噂された密室型事業システムが改革されている。 姫野さんはこの変化を的確に捉え、促進する役割を果たした。市民運動の後押しで、「みんなで決めよう」という思想や方策は認められた。公開の審議、民意反映は定着しつつある。彼は住民参加を具体化して、室原の理念に近づくルートを拓いたわけだ。 歴史的な人材を事故で失った。実に悔やまれる。(信) 姫野さんのお別れ会は日時:11月3日(水)時間:午後2時より場所:あおいホール川内( http://bit.ly/bI0Uw3 ) 徳島IC近く。徳島市川内町沖島573 電話:0120-04-4559 088-665-1000姫野さんと親交のあった方々、学友、地元の方々どなたでも参加可能です。なお、御香典花輪供物等はご辞退くださいとのことです。