2007/04/11(水)20:29
犬のために流れた初めての涙の話 ミミとマッコイの思い出
今回はシュンタの話ではありません。
前回、シュンタの手術後の哀れさに、私が泣いたことを書きました。
その時、2度目の涙だ、とおもっていたので、二回目でしたと、書いたのですが、犬のために涙が流れた初めての時のことを、思い出してしまいました。
初めて、犬のために泣いたのは、1988年の夏前のことです。今から20年ちかく前になります。
当然、今私が一緒に暮らしている犬たちではありません。
その時一緒に暮らしていたのは、ミミという母犬とその娘マッコイの二頭でした。
ミミは1981年産まれの真っ白い中型犬、毛は長く、耳は小さくてたっていました。
その年に、小学校に入学した長男がある日、近所の友人たちと連れだって帰ってきました。4人で、私にお願いがあると言います。
「おばさん、お願いだから、この犬、預かってください!!」
「どうするの。」
と見ると、一ヶ月経つかと思われる小さな、真っ白な子犬を、抱いています。
「このなかの、誰かのウチで必ず飼いますから、決まるまで預かってください。」
「どうして、君ン家で預からないの。」
「だって、おばさんちには、段ボール箱がいっぱいあるでしょ?!それを、ひとつこの 子にあげてください。」
聞くところによると、放課後の校庭で遊んでいたら、子犬の鳴き声がして、4匹の子犬を発見。みんなで、かわいそうだから、グループでわけて育てることにした、とのこと。
「オバサンの家は、忙しい家だから、犬と遊んであげれないからね。必ず迎えにきて ね。」
「うん、だいじょうぶ!こんなにかわいいんだから、迎えに来るからお願いします。」
2年生になる子がしきっていました。その時の私は、8割、その子の言っていることを信じていました。
その日から、ミミは16年間うちの子として暮らしたわけです。
ミミという名前は、ウチの子も含めた4人できめたものです。当時NHKの、子ども番組で、ミミという名のキャラクターが出ていたことによる命名でした。
しばらくの間は、放課後になると、みんなが集まり、ミミを連れて遊んでいましたが、十日も経たぬうちに飽きてしまったのか、全くミミと遊ぶことはなくなっていきました。
だれのウチで飼うことになるの?と誰に聞いても皆、同じ答えでした。
「ぼくんちは、お母さんがダメだって!!」
なんてことだろう、のぞみもしないのに、犬がやってきてしまったワイ。それも、立派な雑種。見るところによると、スピッツと紀州犬が混じっているような・・・紀州犬と思ったのは、鼻の頭が黒くなかったからです。
ダイニングから見える庭先に、犬小屋を置き、砂場を作りました。ミミは女の子でした。
一年後に第一回の出産をし、6年間で、6回出産。合計32頭の子を産みました。32頭のうち、6頭は、育ちませんでしたが、生まれて、育った子はすべて友人、知人にもらわれていきました。
マッコイは32頭の中の一頭です。女の子だったら、ミミと一緒に暮らしていけるので一番かわいい子を残しました。
ミミが7歳の時、私たちはそれまで暮らしていた町より、草深いに雑木林のなかの一軒家という風情の土地に家を建てました。
犬を飼うには、最適だね、と喜んでいました。
それまで、毎朝の散歩は、アスファルトの上が大部分でしたから、これからは、畦道や、山道も歩けるし、走れるね、と私は嬉しくなっていました。 続く