その対処法は「曼荼羅」からか…
salut!!皆さんにお尋ねします。自分の目標を持つ事はすごく大切だと思いますがその目標へと向かう中で、様々な要因や問題、事案が複雑に絡んできた事はないでしょうか。そのような経験がある方、その時にどのように対処しましたか?そんな複雑な問題への対処法に関して、わたしの経験を交えてわたしなりの見解を一つ、記したいと思います。「私はこうしてきた」というお話があればトラックバックなど付けていただけると幸いです。因みにわたくし「マル」は飲食業界に従事してきた者です。当然、わたしの話はその業界の経験によるものです。飲食業界が舐めて見られている事は存じ上げています。しかしながら、少しばかり目線をこの記事へ傾けていただけると幸いです。マルというやつはこれまでにソムリエという職に就いてきた。しかし今、ここに転換期がやってきた。引退に関しては もうじきすると決めていて何がためかと言うと「違う角度」から業界への貢献そして自身の仕事の楽しみを謳歌したいとの思いがあるからである。ここのところ感じているんだが、自分の道を歩んでいるその歩調が どうも乱れるようなそんなスパイララルが 時にはあるということ。「違う角度」からとは言え、この業界の中にいるわけでこの職人としての感覚は維持したいと思うのは欲張りでもない。現場レベルのお話をいただけば「勿論させていただこう」という頭でいるが、しかしながらそれは「ソムリエ」としてであり、スポットでの仕事でないと難しいのだろうと思う。先方に素直に職務経歴をお伝えすると、そして単純に年齢的にも、おおかたはマネジメントを任されるハメになりやすいことに気付いた。スポットの対応にも難しさもある。なんでもかんでもやれば良いなんてことがあるわけない。当り前だ。先日某国の在日大使館でVIP(国家レベルではない)を招いての宴があるということで手伝ってほしいとのお誘いを知人から受けたが、内心、不安だった。かれこれVIP相手の仕事は3年もブランクがある。そりゃ不安になるのも当り前だ。不安だったら断ればいい。しかし断れば、手が空いているのを知っている彼に不信感を与えかねなかった。 それというのは付き合い上マズかった。まぁその問題に関しては今回 幸か不幸かキャンセルになったのでよかった。考えたのは「ソムリエとしての技術とはいったいどこからどこまでなんだ?」ということ。断れるならば断っても良かったのか?否か?正直わかんなかった(汗。そもそも、わたしがこれから何をしようとしているのかまではまだその知人には話してなかったこともマズかった。思わぬミスである。先方の要求は「ソムリエ有資格者」とのことだったが、これはどうしてだかよくわからんが、マルが思うにはソムリエよりもメートル(給仕)としての上級レベルにある人のほうがえぇんやないの? と思いつつ。まぁこういうメートルとしての高度なサーヴィス技術もホテル経験者のソムリエであるならばあるのは確かだと思うしわたし自身も勿論そこのところの技術は磨いてきてはいる。が…いま マルにその次元での技術の維持って必要なん? と疑問に思った。マネジメントに関しては、まだまだ勉強が足りていないということは自分でもわかっているが、違う角度から、というか違う環境で学びたいと考えている。飲食業界は「人材育成」という技術に欠けている。というよりも、そういう概念すらない。文化を大切にするというスタンスは恐らく他業界よりも強いものと思われるが産業発展という次元では考えきれていない。視野の狭い人種である。文化を後世に伝えていくにしても、産業の発展は必要不可欠であるとマルは考えている。産業発展にはそれなりの業界システムが確立されていないといけないと考える。であるならば、そのような牽引役が必要。この業界はそこに気付いていないし なので人材育成なんて概念があるわけもない。そんな環境の中でわたしがマネジメントをしたところで、その経験が自身にとり何の役にも立たない。物事を進める上で、大規模なものから小規模なものへセグメントしていくのが自然な流れであると思っている。これはフレームワークとしてもごく一般的ではないだろうか。現場は重要と考えるマルが、そういうスタンスで考えた場合、いま自分が現場レベルで考えてすべきことの一つは、職人としての感覚の維持であると思った。マルがワインに関わる仕事に就いてきて今、最終的なものと位置づけている目標がある。それはワイン造りである。自分がしたかった事はこれだったんだと ここ数年前に気付いた。これには気付くのが遅かった。最初から気付いていれば当然その道に進んでいた。しかし、要らぬ寄り道とは言わんがかなりの回り道となってしまった「ソムリエ」という仕事、延いてはマネジメントをすることになってしまっていた。ここまでやってしまったら、またまたマルの「やったるで」精神がこの面での目標まで掲げてしまうことになるのは言うまでもない。単なる意地であるならば止めれば良いだけの話。しかしそうではないのである。ソムリエになったことが回り道だと気付いた時分、とは言え同じワインに関わる仕事でありその環境の中で考えた事があった。ワインを造るのはお百姓さんをはじめその道のプロたちで、その造られたワインを消費者へと案内、誘導するのはインポーターやソムリエで、両者とも、その文化の上質な楽しみを伝えるために重要な役割を担っている という認識に至った。「神の雫」かなんだか 作家の趣味で半ば歪曲気味な伝えられ方をされては文化も収束する、或いは荒んでいく。上質な感覚を持ったソムリエがいて、そういう者が創る空間、つまりレストランがあって上質な接客を以って、 ワインを楽しんでいただく。 これは高級レストランを指しているわけではない。自分が造ったワインを、このような形で消費者の方々にアテンドしてくれることが理想である。しかし、現在、マルが本当に心から楽しめるレストランは残念ながら稀少である。多くは行く価値を感じない店ばかり。これでは困るのである。このまま野放し状態にしておくと、よく造られたワインが味の素を入れて飲まれる事になる。この飲食業界を是正することは、これもとても重要な事だとひしひしと感じている。キャッシュフローの単純さから他業界の人からも魅力に見えている部分もあるだろうし ゆえに舐めた経営も去ることながら運営までもずさん極まりない手抜き商売。これもこの業界が腐れかかっている要因である。これも払拭すべきものだし、新たな病原菌も防がないといけない。わたくしマルが ゆくゆくはお店を持つ事だろうと思う。その店を基点に、ライバルを見つけ、良き仲間を見つけひらまつが美食の伝道を担うように、そのチームを以ってマルは業界是正と文化の良き発展を担いたいと考える。今は、放っておくと鈍っていく感覚の維持を重要視すべきだと感じる。そのために、スポットでの仕事をつないでいく事でそれは可能ではないかと考えた。さて、上京間もないマルにどれだけの人脈があるのか・・・?ふと転がり込んでくる出会いを無駄にしてはいけないだろう。且つ、出会いを見つけるべくアンテナをはることも重要である。そうしつつ経営を学び、異業種の方と対等にお話できるようにすべきである。先ずは然るべき経営手法を以って飲食店というものを確立させるべき。わたしがこの先も職人としての感覚を維持していこうと考えたのはこの時になって、お客さんが何を求めているのかを把握する事に役立つ。そんな中で、出会ったライバルや仲間と手をとり合い、 認定の有無は別としてベンチャービジネスのような手法で以って業界内に新たな刺激を与える事が重要と考える。そうすることにより、業界の是正を図る。寝ぼけあがった商売しているような輩には退いていただくほか無い というような風通しを業界内に流すことができればこれ以上の理想はないのではないか。先ずは小さくともチームが発足すれば、わたしがワイン造りをすることもようやく視野に入ってくることだろう。根本を正せば、訳もわからずしっちゃかめっちゃかな環境下で何が何だかわからず伸び悩んでいた事も先の見通しが恐ろしく見えすぎるくらいにすっきり見えて ということで何をすべきかが浮き彫りになる。こうなってくるとウマくいくもんである。以上がわたくしマルなりに この転機までに考えて産まれたマトリクスによる対処法である。キーとなるポイントは、「本質がどこにあるのか」を非常に意識してきた事である。それは、定義することは困難だが、しかし本質ありきである曼荼羅にある世界観を意識していないとは言えないかもしれない。わたしがまたこのような判断と決断をする時、同様に、原点に返り本質を探すのだろう。マル