marcoの株式投資日記

2007/04/23(月)23:44

フィスコの起業物語

個人投資家が目にする媒体にちょこちょこでてくるフィスコの社長が、記事として取り上げられていました。 銀行出身だったんですね。少し意外でした。 === フィスコ社長三木茂氏――大手証券破綻、人材が流入(起業上場私の転機)2007/04/20, , 日経産業新聞, 20ページ, 有, 1608文字  「金融情報を中立的な立場で提供したい」。フィスコの三木茂社長は米情報サービス大手のトムソン・コーポレーション日本法人の社長時代に起業を決意した。意欲に燃えた独立だったが事業は順風満帆ではなかった。会社設立直後に訪れた証券不況やインターネットの登場など環境激変への対応を迫られる、難しい経営判断の連続だった。   東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に十三年間勤務した。銀行の仕事は好きだったが、どこでどんな仕事がしたいかなど個人の選択権を主張しにくい社風に不自由さを感じた。三十九歳で銀行を辞めトムソンに移った。  金融情報ビジネスについて知るうちに、日本でも中立的な立場で金融情報を提供する事業が伸びると確信しました。トムソンでは日本拠点の体制について希望が通らないことがあったのですが、そのころ、すでに起業していた銀行時代の同僚から「お前の仕事は面白い。独立したらどうか」と背中を押されました。  九四年にその同僚の会社の事業部門としてスタートし、一年後に株式会社を設立。ロイターなどに日本株、債券、為替の情報を提供するなど、事業が順調に拡大すると思われた矢先に証券不況に見舞われました。   九七年、大口の取引があった山一証券や三洋証券が経営破綻。厳しい逆風にさらされたが、証券不況はフィスコに思わぬ“恩恵”ももたらした。  証券会社の経営破綻で流出した優秀な人材を採ることができました。リストラを進める証券会社が投資情報部を廃止したことで、新たな需要も生まれました。  その後、インターネットの登場で経営環境は大きく変わりました。情報提供に必要な専用線がなくても誰でも参入できる。競争が激しくなる一方、ロイターなどの専用端末を持つ金融機関などに限られていた顧客層が個人に広がる可能性も出ました。   ネットの普及は事業拡大のチャンスである半面、システム投資負担が大きい。経営戦略に迷った。  二〇〇〇年に四億円の増資をしました。ベンチャーキャピタルからは「金融のポータル(玄関)サイトに進出しては」と提案されました。考えた末、自社の商用サイトは立ち上げずヤフーなど閲覧数の多いサイトやオンライン証券への情報提供を始めました。  結果は吉と出ました。オンライン証券の成長や異業種の金融業参で、自前で調査部門を持たない金融機関が増えました。金融情報をアウトソーシングする需要が急激に高まったのです。   失敗もあった。コナミと共同で〇〇年にNTTドコモのiモード向け投資ゲームを始めたが、採算が合わず一年後に撤退した。  携帯向け事業は見込みが甘かった。ただ、個人の資産運用は着実に貯蓄から投資へとシフトしていました。現場の社員の声に応える形で、〇四年末に個人向け情報提供サービスのクラブフィスコを設立。〇五年の新興株ブームで会員数が急増しました。   〇六年六月、大証ヘラクレスへの上場を果たす。だが上場後初の決算の〇六年十二月期の経常利益は前の期から半減した。  ライブドアショック以降、個人投資家の新興株離れが進み、個人向けサービスが伸び悩んだことが誤算でした。ただ減益になってもシステム開発や人材獲得などの投資は続けました。  個人向け投資情報配信は伸びる余地が大きいと思います。リサーチや運用ノウハウで付加価値を生み、投資家に必要とされる企業になりたい。当面の目標は現在四万八千人のクラブフィスコの会員数を五十万人まで増やすことです。  みき・しげる 76年(昭51年)上智大経卒、東京都出身。55歳。家族や友人とワイワイ楽しむのが好きで趣味はゴルフと料理。シチューなどの煮込み料理が得意で、ダッチオーブン(鋳物製の厚手鍋)を使った野外調理も手掛ける本格派だ。 ▽本  社 東京都千代田区 ▽事業内容 金融情報の配信 ▽売上高 9億8100万円 (06年12月期・連結) ▽経常利益 3900万円(同上) ▽上  場 大証ヘラクレス(06年6月)

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