先日、飛鳥へ行った時に「雷(イカズチ)の丘」というところを通りました。
日本霊異記には次のようなくだりがあります。
雄略天皇の護衛武官、栖軽(すがる)と言う男が天皇に雷を捕まえて来いと言われた。
みると豊浦寺と飯岡の中間地点に雷が落ちていた。
栖軽(すがる)はそれを見て神司を呼び、輿(こし)に入れて宮に持ち運んで、天皇に、「雷神をお迎えして参りました。」と申し上げた。
その時、雷は光を放って明るく輝いた。天皇はこれを見て恐れ、供え物を捧げて、もとの落ちていたところに返させたという。
その場所を今でも電(いかづち)の丘と呼んでいる。
(雄略天皇とは古事記には一言主神社やアカイコのお話で登場するのでご存知の方も多いかもしれませんね。)
いまでもその場所の地名は雷(イカヅチ)と呼ばれています。
古代の出来事がそのまま地名で残っているなんてちょっと感動です。
最近は市町村合併で昔からの地名が消えてしまうことがあります。
歴史と共にある地名は残して行ったほしいと思います。
写真の横が小さな丘になっています。
柿本人麻呂もここに来た時に歌を残しています。
大君(おおきみ)は神にしませば 天雲の
雷の上に庵(いほ)りせるかも
(大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ)
人麻呂が「天皇、雷丘に出でます時」に作ったと題する歌で、天皇とは一般に天武天皇のこととされています。
天武天皇とは天智天皇の弟で、壬申の乱で勝利して天皇になった方です。
天武天皇の時に古事記や日本書紀も作られました。
つまり、日本の歴史の元とのあるものの編集を命じた天皇なのです。
天武天皇の時代から、文字を使われるようになりました。
天武天皇の時代から、国名に「日本」という名前も使われるようになりました。
また、天智天皇の時に大化の改新が行われましたが、まだまだ形ばかりのものでした。
天武天皇により、中央集権国家が進み、日本もやっとひとつの国家として成り立っていったのではないでしょうか。
日本の国としての歴史の始まりの時でした。
飛鳥は歩いていると古代の世界に入り込んだような錯覚をさせてくれる素敵なところだと改めて思いました。