濁点ひとつで意味が全く違ってしまうってことがありますよね。
例えば、「世の中は住むとにごるの違いにて ハケに毛があり、ハゲに毛がなし。」というものもある。
武田信玄と上杉謙信の手紙での文書合戦では大変面白いがある。
武田信玄が「杉枯れて 竹たぐひなき あしたかな。」(上杉が枯れて、武田が類なき勢力をもつ)と送ると、
上杉謙信が「杉枯れで 竹だくび(首)なき あしたかな。」(上杉は枯れないで、武田は首がなくなる。
と、濁点三つのつけ方で、見事逆襲したというのだ。
文字の持つ力の不思議というものでしょうか。
ペンは剣より強しともいますね。
気軽に書いているプログですが、ちょっとした書き間違えで、全然違う意味になってしまうこともありそうです。
自分の意思と違うところで歩き出してしまうことのないようにちゃんと読み返して考えてクリックしたいと思いました。
話は元に戻りますが、戦国の武将、武田信玄、上杉謙信ともにすごい人でしたね。
私が最も戦上手と思っていた織田信長は武田信玄を戦の師と考えていたようですし、上杉謙信は「敵に塩を送る」と言う名言で知られるほど義に篤い人でした。
上杉謙信がいなければ背後を気にすることもなかった武田信玄が天下を取っていたという人もいるくらいです。
昔の領主はは武芸にも秀でていながら戦いには計算も必要だし周りを引き込む文才も必要でした。
体育会系で、理数系で、文系ですごい多彩な能力が求められたのでしょうね。
戦国武将といえば、昨日はNHK大河ドラマ「義経」を観ました。
毎週、私は夫と一緒に楽しみに観ているのです。
何故、義経が頼朝に殺されなければならなかったのか。
これがやはり大きな関心のひとつではないでしょうか。
あんなにお兄さんを慕って、裏切ることなど絶対無いと思われていた義経。
その義経を兄は殺さなければならなかった。
人気のある義経への嫉妬?
それもあったかもしれません。
でも、もっと深い部分でどうしても許しておけなかったものがあったはず。
昨日は、義経の「義理人情」に対して、頼朝の「主従関係のルール作り」のお話でした。
一見、人間的で温かく見える義経、反対にクールで冷たく簡単に部下を殺してしまう頼朝。
しかし、立場や育ち、そしてこれから先のビジョンをもっっている頼朝にとっては「御恩と奉公 」というこれまでにない、ルール作りがどうしても必要だったのでしょう。
頼朝は平氏の今までの公家世界と同じような甘さを断ち切る必要がありました。
そうでないと、血縁関係とか親族とかでない家来を納得させてまとめることはできなかったのです。
もちろん、義経を殺したのはこれだけの理由ではありません。
まだまだ、あります。
宮尾登美子さんはその理由を物語の中で丁寧に解き明かして行ってくれています。
来週も楽しみです。
今日は武田信玄と上杉謙信からいつのまにか、義経と頼朝になってしまいました。
ながながとおしゃべりお付き合いいただきありがとうございました。m(_ _"m)ペコリ
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