220101
esse (動詞)「存在(する)」「在る」 (不定詞)「有」eesentia「本質」existentia, existere「現実存在(する)」res paticulares「個別的諸事物」res singulares「個的諸事物」attributum「属性」substantia「実体」subjectum「主体」 文法的な「主語」ないし項に対応する存在者→「事物」や「個物」 「それ自身において在り、それ自身に基づいて概念されるもの」modus「様態」affectio「変状」accidentia「偶有性」 文法的な「述語」に対応する存在者→事物や個物に「内属する」(inhaerere)「性質」「状態」「行為」 「他のものの内に在り、他のものに基づいて概念されるもの」 →「実体」ないし「基体」に「支えられて」初めて存在できる性質や状態や行為(1)「実体」 「唯一実体」である神は究極の主体であり、それ自身が他の主体に内属することはない。 永遠かつ無限の神(2)「様態」 〇実体を主体とする変状 実体を主体として、それに内属する状態が「様態」modus 「無限様態」 「直接無限様態」「思惟」においては「絶対無限なる知性」「延長」においては「運動と静止」 「間接無限様態」 無限の仕方で変化しながらも常に同一に留まる「宇宙の相貌」 「有限様態」(個物) 思惟の有限様態→「人間精神」 延長の有限様態→「人間身体」(3)様態の「変状」 〇様態を主体とする変状 「思惟」の変状→「観念」→理解・知覚・想像・感情・欲求 「延長」の変状→「身体変状」→身体内の運動、身体的行為 個物(有限様態)を「主体」とし、それに内属する「諸変状」 「行為」=「身体変状」 「想像作用・感情・欲望」=「(身体変状の)観念」「内在的原因」 causa immanens「他動的原因」(「超越的原因」) cause transiens伝統的に「神」とは、本質的に「行為者」であり、他方で「自然」が「行為者」と呼ばれるとしてもそれは「擬人化」または「神格化」によってでしかない。それゆれ「神あるいは自然」という定式化をスピノザが採用した動機の1つは、行為者概念の存在論的な原初性という哲学的真理を保存するためだった。そして「神あるいは自然」の背景にこのような考察があるとしたら、この定式は「神概念の保存」であるよりもむしろ「自然概念の革新」であった。スピノザが「神」の名とともに保存しようとした行為者概念は、自由意志も目的指向性も内的に含意しない行為者性であり、これは伝統的な神概念の保存であるよりもむしろ破壊であり、あるいは伝統的神概念の「自然化」である。出来事因果的な因果モデルは、「出来事としての身体変状の連鎖」のみに目を向け、先行する項を後続する項の「原因」と呼び、それらの項の連鎖のパターンの規則性、法則性をただちに因果関係とみなすが、これに対してスピノザは、「因果的力の主体としての個物」を、内在的/他動的な「原因」として名指す。ここにおける因果関係は、身体変状を産み出す内在的原因と他動的原因の協働的因果の連鎖である。出来事あるいは出来事の構成要素(個物や性質)の内に出来事と出来事を結び付ける内的原理を与えない出来事因果モデルをスピノザは、「前提なき帰結のごとき認識」と呼ぶ。