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カテゴリ:仕合
ここのところ、南棍をよくいじっています。
流し稽古のような形で行っているため、ちょっとキレイな動きではないかなと思っているのですが、フィリピン武術の考え方では、そのように動きを流すことで要諦を身につけるという発想があります。 その成果、南拳の先生にも、「棒に使い慣れてきましたね」といわれました。 これまで、日本の棒術や杖術などをやってきたのですが、どうもきっちりと付けた型とは違った何かが体に入ってきている気がしています。 そんな中、古武術仲間と薙刀を持って軽く腕試しをしました。合気道などでも長柄物になれた友人です。 私は生来の不器用のせいか、長柄物はあまり得意ではないのですが、この時は自然に体が動きました。石突で相手の薙刀を弾き、出来た隙間に反転させた刃の方を相手の首にぴたっと付けることができました。 きちんと刃を立てたのは薙刀の稽古の成果ですが、動き自体は南棍の練習で身についたものでした。いわば、功夫はそちらであったわけです。 私が学んでいる剣術では、ピタリピタリと角度の決まった動作よりも、臨機応変な動きのある練習を重視しています。これもまた、ある種の功夫の重視ということなのではないかと思っています。 南拳の先生曰く、「カンフーは自分の中にある」だそうです。それぞれの長所や感性を伸ばしてゆく特長がありそうですが、反面、我流にすぎなくなってしまう可能性もありえる気もします。 常に自覚を持って訓練を積んでゆかねばならないと、注意してこれからもやってゆきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.06 12:48:22
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