2011/01/18(火)19:32
可愛い息子
子供にとっての母親は世界で一人だから自愛するように、、、
というコメントをいだたいだ。
私も義妹の旦那が亡くなったときにその思いは切実に感じた。
昨日息子が甘えてきた。
7歳にもかかわらず、こちらの慣習に従って2歳まで母乳を与えていたからか、
いまだにぺたぺた甘えにやってくる。
空手でかっこいい技を見せてくれる、学校で良い子ぶる息子だが
夫がみていないところで私に抱きついたり、匂いをかいだり、
ギュウー(強く抱きしめて)して!と言ってきたり
私の胸に触って満足そうな顔をするのも息子の一面。
それでもやはり日々成長しているので、空手女も42歳に近くなると
息子を下から抱き上げるのは時々辛い。
(元気があるときは息子を背負ったり、抱っこした状態で
スクワットや屈伸をしたりもし、その姿は横で見ている人には実に馬鹿げているだろうが)
そんなことで昨日は息子を椅子に立たせて抱きしめてあげた。
そのときに、ふと、私が、、、、
タハのほうが背が高くなったねえ、、、。
7,8年経つと、こういうふうにTAHAの方がお母さんよりも背が高くなるんだよ。
そのときに今みたいにお母さんのことをギュ―っと抱きしめてくれるのかな?
息子は
うん、もちろんだよ。僕、お母さんをお姫様抱っこしてあげる!
私
(笑いだして)有難う、でもホント?本当に?その言葉忘れないでよ。
息子
うん。忘れない。そうだ、ゆびきりしよう。
私たちは大声でゆびきりを歌った。
私は中学生になる前から結婚というものにはまったく期待、希望、夢というものを持っていなかった。
でもなぜか自分の子供はほしいと強く願っていた。
そしてその気持ちは不思議なことに、
大学時代に生というものに疲れ果てていたときも変わらなかった。
学生時代、ある人にこの自分の気持ちを話したことがあったが、
その人は
俺は子供は欲しくない、こんな時代に子供をこの世に送り出すのはかわいそうだ
という答えが返ってきた。
私は
こういう考えの人もいるのか、、、と
自分には全く理解できない答えにびっくりした記憶がある。
そのときに気が付いたのだが、、、、
私はあまり世相とか時代とか世の中の流れのようなものを気にしていないのではないか?
ということだった
私が生に疲れているのは一般的に考えられる、周囲の自分の環境に原因があるとか
人間関係に起因するとかそういう事ではないのだ、、、と判った。
それから
私にはせっかく女性として生まれてきたからには女性特有の事をしたい、
自分のDNAを子供に引継ぎ、その子に自分がこの世を去っても私を感じてもらいたい、
子供はこの世で私と同じように悩み、苦しむかもしれないが、
それをどのように受け取り、どのように扱うかはその子自身の問題である
という我侭で、冷たいのかもしれないがそういう気持ちがあったし、現在もそう思っている。。
いずれにせよ、私がたとえ女としての使命のような気持ちで息子を産んでいたとしても
現在息子の母親に対する愛情を甘く、くすぐったく感じる気持ちも
私が息子をかわいく、愛しく思う気持ちも唯、純粋にその思いだけだ。
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