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カテゴリ:矢延平六
「日本之名勝」1900年刊より 高松城 高松城 高松市の北端海岸に在り、この地は、昔は、総称して八輪島と言い、城域は篦原の庄と唱え、海を玉藻の浦と呼びしが、天正十六年、国守、生駒親正、この地を卜して城を築き、新たに高松城と称せしより、終に今の地名を用うるに至りしと言う。 生駒家は四世高俊、罪ありて、羽州由利郡に移され、寛永十一年、松平頼重、代わりにこの地に封ぜられ、世々、十二万石を領せしと言えり。 この城、今なお、楼閣外壁等を存し、内海を航するものは海中よりこれを遠望することを得べく、崇牅老樹の間に隠見し、白波塁を噛んで叱咤の声をなす。 人をして坐るに古えを懐かわしむるものであり、殊に西には白峰の翠峰高く峙ち、東には屋島の奇山遠くにわたる。また瀬戸海の一観たり。 高松港 高松港 高松市は、四国の名邑にして交通の便、頗る多し。 死の海に接すところに川口の港ありて大阪より播磨洋をすぎて四国の沿海を航する船舶は、先ず、錨をこの港に投ず。 以前は、海岸浅くて、近く巨船を容る能ず。 上下の事一に端舟に依頼せしを以て風波の日は大いに困難を感ぜしも、先年、築港なりて埠頭長く、海中に出で、大船巨舶も直ちに岸に接近まるを得、その利便、往日の比にあらず。 船穏やかに錨を投じて停止するとき甲板に出でて、近く楼屋鱗、この高松市街を望み、旧城閣の巍然たるに対し、遠く一葉の山脈に眸を放てば、自ら身の画中に在るを想わしむ。 船辺に集まり来る商沽に附きて溌剌たる鮮魚を求め、芳醇を酌んでこれを劈くもまた、無上の快楽たらん。 栗林公園 高松新地図1921 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.07.22 23:07:26
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