ふるさと福井

2007/01/31(水)16:47

結城秀康の手柄

福井城址あれこれ(13)

徳川家康は慶長5年(1600)12月、伏見城で関ケ原の戦いの論功行賞として結城秀康に越前68万石を与えた。これが福井藩の始まりです。この論功行賞については、家康に次ぐ実力を持っていたといわれる外様大名、加賀(石川県)・前田氏の目付け役として、武勇にすぐれた秀康を越前に配したと考えられています。関ヶ原の戦いより3ヶ月前の慶長5年(1600)6月、徳川家康は、家康に反抗する上杉景勝を討つため会津へ向かったのですが、下野国(栃木県)小山に着いた頃、石田三成挙兵の知らせを受け、景勝を討つか、大阪へ引き返すか迷ったといわれる。結局、家康は秀康を小山に残して大阪へ。秀康は小山に本陣を置いて景勝をけん制、景勝は関ヶ原の戦いの後、家康に和を請うたという。家康はこのことを大変喜び、秀康に感謝の手紙を出したとも伝えられています。

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