土佐日記 二月九日
【本文】九日、心もとなさに明けぬから船をひきつつのぼれども川の水なければゐざりにのみゐざる。この間に和田の泊りのあかれのところといふ所あり。よねいをなどこへばおこなひつ。【訳】二月九日、京に着く待ち遠しさに、夜があけぬうちから、船を曳きつつ川をさかのぼるけれども、川の水量がじゅうぶん無いので、のろのろと進む。ところで、和田の船着き場の川の枝分かれという土地がある。物乞いが米や魚などを乞うので、施した。【本文】かくて船ひきのぼるに渚の院といふ所を見つつ行く。その院むかしを思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる岡には松の木どもあり。中の庭には梅の花さけり。ここに人々のいはく「これむかし名高く聞えたる所なり。故惟喬のみこのおほん供に故在原の業平の中将の「世の中に絶えて櫻のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌よめる所なりけり。【訳】こうして船を曳き川をさかのぼる時に渚の院という所を見ながら進んだ。その院は、むかしを想像しながら見ると、興味ぶかい所である。後方の丘には松の木がいくつもある。中の庭には梅の花が咲いている。ここで人々が言うには、「これは昔有名だった所だ。故惟喬親王の御供で故在原業平の中将が「世の中に絶えて桜のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌を作った所だなあ。【本文】今興ある人所に似たる歌よめり、「千代へたる松にはあれどいにしへの声の寒さはかはらざりけり」。【訳】今、風流を解する人が場所にふさわしい歌を作った。「千年も年を経ている松ではあるが、むかしながらの松風の音の寒々しさは変わらないのだなあ」。【本文】又ある人のよめる「君恋ひて世をふる宿のうめの花むかしの香にぞなほにほひける」といひつつぞ都のちかづくを悦びつつのぼる。【訳】また、ある人が作った歌、「惟喬親王を恋しく思いながら年を経る院の梅の花が、むかしと同様の良い香に依然として匂っているなあ」などと言いながら、都が近づくのを喜びながら川をさかのぼる。【本文】かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時に、皆人子どもなかりき。いたれりし国にてぞ子生める者どもありあへる。みな人船のとまる所に子を抱きつつおりのりす。【訳】こうして川をのぼる人々のなかに、京から下った時には、みんな子供が無かった。赴任いていた国で子を産んだ者たちが寄り集まっている。みんな船が停泊する所で子供を抱っこして船を乗り降りする。【本文】これを見て昔の子の母かなしきに堪へずして、「なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくてくるが悲しさ」といひてぞ泣きける。父もこれを聞きていかがあらむ。かうやうの事ども歌もこのむとてあるにもあらざるべし。もろこしもここも思ふことに堪へぬ時のわざとか。こよひ宇土野といふ所にとまる。【注】宇土野 いまの高槻市鵜殿か。【訳】このようすを見て、むかし生きていた子どもの母親が、悲しみにこらえきれずに、「都を出発するときには子が無かった者も、子のある状態で帰るその他人の子を、わたしには子があったのに、無い状態で帰ってくるのが、なんとも悲しい」と言って泣いた。その亡き子の父もこの歌を聞いてどんな気持ちであろう。このような悲しい歌を作ることも、嘆くことも、ただ歌を作るのが好きだからといって作るわけでもないであろう。中国でも日本でも、感情を抑えきれなくなってするここだとか。今夜は、宇土野という所に泊る。