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折れず曲がらず良く斬れる

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2008.01.05
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 サンクトペテルブルクで4人兄弟の一人として生まれた。兄弟は全員バレエダンサーとなり、そのうち兄フョードル・ロポコフは二度にわたって(1922年-1935年、1951年-1956年)マリインスキー・バレエの主席振付家を務めた。

 リディアは帝立バレエ学校で訓練を積んだ。1910年にロシアを離れ、セルゲイ・ディアギレフ主催のバレエ・リュスに加わった。しかし夏の公演旅行後にはアメリカへ発ち、6年滞在した。1916年に再びバレエ・リュスへ戻り、以前のパートナーであったヴァーツラフ・ニジンスキーと組んだ。バレエ団のマネージャーだったランドルフォ・バッロッチと結婚後一時舞台を離れたが、1921年に復帰。『リラの妖精』や『眠れる森の美女』のオーロラ姫を踊った。この頃にストラヴィンスキーやパブロ・ピカソと親交を深め、ピカソは彼女をモデルに何度も絵を描いている。

 1918年のロンドン公演で出会ったジョン・ケインズとの不倫の末、リディアとケインズは1925年に結婚した。1928年から、まだ根付いていなかったイギリスのバレエを根付かせる役目を担い、ロンドンやケンブリッジで舞台に立った。

 1946年のケインズの死後、公の舞台から離れひっそりと暮らした。2人の間には、医学的理由から子供ができなかった。

  250px-Lydia_Lopokova ケインズの妻.jpg






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最終更新日  2008.01.07 10:51:31
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