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名張川と黒田川の合流地点 手前が黒田川、向こうが名張川 この地点は古代の歴史に登場します゜ 646年に発せられた大化の改新の詔(みことのり)には、 「およそ畿内とは、東は名墾(名張)の横河より以来(こちら側)」 とある畿内国最東端だった所です。 カメラの位置がその地点ということになります。 後に藤原鎌足となる中臣鎌足が、蘇我入鹿を討ったと される有名な暗殺 事件。世に知られる「大化の改新」は、その事件後に行われた政治 改革 のことであり、事件自体は「乙巳(いっし)の変」と呼ばれていて翌年 だされた大化の詔が 大化の改新の始まりと近年の教科書でもされています。 橋がかかっているのが名張川 672年の壬申の乱のとき日本書紀は、 [夜半に及び手て 隠(なばり)の郡に至りて 横河に及らむとするに、黒雲有り。広さ 十余丈にして天に経れり。] とあります。横河とは名張川と黒田川の合流地点つまりここだったと思 われます。 ここより伊賀を北上し兵を募り伊賀の地名が 伊賀の駅家( 古郡地内か ) 伊賀の中山、 蕀萩野(たらの伊賀市荒木?) 積殖の山口(柘植地区) と五カ 所ほど出てきて 柘植地区では高市皇子と合流したり 伊賀と歴史が結びつ く時代です。 ここの橋は黒田橋、南からの川は黒田川です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年07月14日 12時45分47秒
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