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マックス爺のエッセイ風日記

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2007.11.16
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 研修旅行で行ったのは、会津若松(鶴ヶ城、白虎隊の墓など)、多賀城廃寺(当時は高崎廃寺)、松島町手樽の貝塚、仙台市岩切にある東光寺などだったと思う。手樽や東光寺は発掘調査の現場で、特に東光寺では学生に交って発掘の真似事をさせてもらった。出て来たのは経文が書かれた小石で、元寇などで国内に不安が満ち満ちていた鎌倉時代、多くの民が平安を願って奉納したもののようだ。

 当時の下宿先からは裏道を通って三神峰公園に行けた。その道を登って行くと、小高い丘の頂上付近に何か不思議なものが落ちていた。小さな石を削って作った鏃(やじり)が、昭和40年頃にはまだ幾つも表土に転がっていたのだ。三神峰が縄文時代の遺跡であることや、古墳時代の円墳があることなどを知ったのはずっと後のことだ。縄文時代、きっと丘の周辺ではたくさんの獣が捕れたのだろう。

 学生と一緒に読書会にも参加した。歴史の研究書を読み合うのだが、私は数ヶ月で辞めた。十干十二支を組み合わせて表現する年代すら読むことが出来なかったためだ。授業で歴史学の基礎的な知識を得ている学生に対して、何らの予備知識もない一職員とでは、所詮初めから知識のレベルが違っていたのだ。こうして私は本来の業務に邁進することになった。

 それから数年後私は東京の大学に転勤し、医学部の図書館に勤めた。扱う資料はほとんど外国の雑誌と専門図書で、国内の図書館で初めてコンピュータを使っての業務電算化が進んでいた。横文字とコンピュータに悩まされた何年間かであったが、千葉から通った時に加曾利貝塚に行ったことがある。ここは日本でも最大級の著名な貝塚で、縄文式土器の作成年代を特定する基準にもなった土器が発掘されている。

 3年にも満たない東京勤務の後、私は茨城県の筑波研究学園都市を皮切りに、徳島県鳴門市、沖縄、愛媛県松山市、大阪、山形、石川県、茨城県水戸市へと転勤を重ねた。歴史に関する図書を本格的に購入し始めたのは筑波勤務時代だった。乏しい小遣いではあったが、将来仕事が落ち着いたらゆっくり読もうと思ったのだ。そしてそれと同時に出張や旅行の際は、著名な遺跡、神社、古墳など歴史や考古学に深く関係する箇所にも立ち寄ることを心がけるようにした。以下にその一例を挙げて見よう。

<遺跡・貝塚>三内丸山(青森:縄文)、多賀城(宮城:奈良)、加曾利(千葉:縄文)、真脇(石川:縄文)、大宰府(福岡:奈良)、吉野ヶ里(佐賀:弥生)など

<神社>塩竃神社、金華山神社(以上宮城)、日光東照宮(栃木)、筑波山神社、鹿島神宮(以上茨城)、香取神宮(千葉)、気多大社、白山比め(口へんに羊)神社(石川)、熱田神宮(愛知)、伊勢神宮(三重)、春日大社(奈良)、平安神宮、下賀茂神社(以上京都)、出雲大社(島根)、吉備津神社、吉備津彦神社(以上岡山)、厳島神社(広島)伊予津彦神社、大山祇神社、石鎚神社、椿神社(以上愛媛)、大麻比古神社(徳島)、はこ(竹の下に呂)崎宮、宗像大社、太宰府天満宮(以上福岡)、宇佐神宮(大分)、青島神社(宮崎)、波の上宮、白銀堂、普天間宮(以上沖縄)など

<古墳・天皇陵>雷神山、遠見塚(以上宮城)、大塚山(福島)、白山古墳群(石川)、今城塚、継体陵、仁徳陵(以上大阪)、垂仁陵、上なべ、小なべ、石舞台、太安万侶の墓(以上奈良)五色塚、車塚(以上兵庫)、作山、造山(以上岡山)、伊予津彦神社裏(愛媛)、宇佐古墳群(大分) などだがこのほかにもあると思う。<続く>





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Last updated  2007.11.16 19:27:25
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