2008/08/09(土)14:08
体力の限界点(’08薬莱山とお足)その3
華麗なフォームの女性ランナーに抜かれたのはその直後。仙台明走会のU宮さんのようだ。彼女は「仙台国際ハーフ」にも出てるスピードランナーだ。その後ろから大崎市のS藤師匠が追いかける。私を追い抜きながら「彼女が良いペースで走ってるので、付かせてもらいます」との言葉。今年の「さくら道ネーチャーラン」では相当の速さでゴールした強者のS藤さんだが、黙ってヨレヨレランナーを抜いて行く人が多い中でのこの行為。いつもながら配慮が良く行き届いた人だ。素晴らしいランナーほど人の痛みが分かり気遣いが出来るのだろう。
道端に「薬莱薬師の湯まで2km」の看板。そこで左折し国道347号線に別れを告げる。ようやくここまで来れた。ゴールはもう時間の問題だ。橋の袂まではゆっくり走ったが、勾配がきつくなる橋のところからは歩いた。道端の花壇に植栽工事をしている人がいる。土手には山百合の花。近くまで行って匂いを嗅ぐ。芳しい香りに生き返った感じ。勾配が緩くなったところから走り、11時04分薬師の湯へ到着。スタートしてからちょうど8時間。昨年よりも30分遅いがこの体調では仕方がない。
受付を済ませ、荷物を持ってまず温泉へ。体を洗い、着替えをする必要がある。裸になって洗い場に座ると、隣にO川さんが居て、かみそりをくれた。まずシャンプーし、次に体を洗おうとして屈んだ時に最大の異変が起きた。再び目の前が真っ白になる。そして背中は強烈な力で掴まれたような苦しさ。これは変だ。左手で台を押さえ、その痛みと苦しさに耐える。小刻みに震える背中。下半身の強烈な痙攣はこれまで何度も経験しているが、上半身の異常は初めてのこと。痙攣が上半身に及び、心臓に達した時は死ぬと聞いたことがあるが、これがそうなのか。
10分ほど耐えているうちにあの表現出来ない苦痛はようやく去った。ゆっくりと体を洗い終えるが浴槽には入れない。仕方なく水風呂に移動し、足だけ入れて筋肉を冷やす。どうやら体の異常反応は、極度の疲労から生じたもののようだ。そう言えばこのところ残業が続いている。それもかなり体にとっては負担になる重労働だ。それに加えての沖縄本島縦断。暑さの中での過激な運動が蓄積疲労となって私の体を蝕んでいたのかも知れない。ゆっくり露天風呂へ移動し、仲間と談笑。そして最後に短い入浴。
脱衣所に戻ると、私の顔が青ざめているとM井さん。そうか。自分では強く意識してないのだが、日に焼けた黒い顔が蒼白になるまで苦しんでいたようだ。口を濯ぎ、冷たい水を飲むうちに元気が回復した感じ。仲間の待つ2階の大広間へ急ぐ。襖を開けるとH多さんが見つけて「凄いね」と一言。隣にはK藤さんがいる。きっと彼女が沖縄本島縦断のことをH多さんに教えたのだろう。「そんなことないよ。ただ歩いただけだから」そう言いいながら私は彼女の側に寄った。ハグに応じる彼女。彼女とは去年の「立山」帰りの車中でずいぶん話し、気持ちは分かっている積りだ。何気ない彼女の言葉だが、私にとっては十分過ぎる労わりだ。
隣の座席のO川さんに、「体調が悪いのであまりビールは勧めないでね」と最初にお願いしておいた。乾杯の後懇親会が始まり、やがて会員の挨拶へ。明走会の若いメンバーが近々チャリティーランを予定してるとの紹介から始まる。若い人は積極的だ。我が宮城UMCの雰囲気がすっかり変わった感じがする。老いも若きも同じウルトラマラソンの仲間。これからも刺激し合って、大いに活動を盛り上げて行きたい。
会の進行が進んで終わりに近づき、女性陣はじめ何人かの仲間は再び温泉へ行ったようだ。私は建物の外に在る物産館へ行った。妻へお土産の野菜を買うためだ。トウモロコシ、インゲンなど4種を買って600円。帰り際食堂に寄りラーメンを食べる。おつゆの一滴も残さず完食。これで失った塩分の補給にもなったはず。
帰りの車中ではKさんから良いことを聞いた。今月末に参戦予定の「立山」の話だが、もし室堂の関門(標高2500m)で捕まっても、ゼッケンを外せば雄山頂上(3003m)への登山を許可してもらえることもある由。もちろん制限時間内に関門を通過することが一番だが、これで少しは気持ちが楽になった。
後日、大崎市のT田さんから写真つきメールをいただいた。レースがあった後はいつも親切にその結果を知らせてくれる同氏。今回の写真には疲れて眠る私の姿と、元気回復した私の2つの姿が写っていた。体力の限界点、そして疲労の限界点と戦いながら走った55kmの道のり。もうあんな経験は二度と出来ないように思う。体調の異変を感じた今回の「とお足」では大勢の仲間に心配をかけてしまった。今後の戒めとして深く心に刻んでおきたい。そしていつも変わらぬ走友達の友情に心から感謝して、結びとしたいと思う。<完>