カテゴリ:ウルトラマラソン(未)完走記
< 突然の訃報と鎮魂の旅へ >
今、私の体はボロボロに傷ついている。やはり佐渡島一周206kmを巡る旅は、そう簡単なものではなかった。2年前の頃より一層進んだ老化、初めての逆周りコースに加えて、レース中の疲労、寝不足、錯視、擦り傷、肉刺(まめ)、吐き気、空腹との戦いはかなり壮絶なものだった。 それでもあの悪路を何とかゴールまで辿り着けたのは、胸につけた黒いリボンのお陰だった。レース中そのリボンに触れながら、何度完走を祈ったことか。あれは私一人が走ったのではない。今は亡きR子さんが、きっと私を前へ前へと導いてくれたからに違いない。変かも知れないが、私は堅くそう信じている。 「佐渡島一周エコジャーニーラン」は、私にとっては3度目の参加になる。初挑戦の62歳の時は不安が募ったものの、まだ挑戦しようとする気持ちが強かった。そして翌年の第2回目はコースを知っていたこともあり、比較的楽に走ることが出来たように思う。 だが、昨年「立山登山マラニック」で傷めた左足は加齢による障害がその基因であるだけに、事後のウルトラマラソンに不安を抱かせることになった。だから「佐渡島一周」への挑戦は今回が最後だと決めていた。ちょうど大型連休で休暇を取る必要も無いのも好都合だった。一人現場のため、休暇を申し出るのが大変なのだ。 さて、途中で走れなくなったらショートカットしてゴール地点へ向かえば良い。そんな自分勝手な考え方すら持っていたのが本当のところ。仕事でも強い疲労感が残るようになっていた。ウルトラマラソンの費用を稼ぐ「内職」が、逆にウルトラマラソンが走れないほど疲労させるとは皮肉な話だが、いつか必ず限界に来るのは確かなこと。 7kmほどゆっくり走る帰宅ランは、足の痛みがそれ以上増幅せず、強い疲労感を残さない練習としてちょうど良いと思われた。新しく作った医療用のインソールがなかなか足に馴染んでくれないことも、練習不足の良い言い訳になったと思う。 そんな状態で果たして200kmを超える道程を走り切れるものだろうか。不安の一方、これまでの経験で何とかなるだろうとの気楽な考えもあった。そんな時に飛び込んで来たのが、「佐渡島一周」の第1回と第2回で一緒だったR子さんの、突然の訃報だった。 まだ39歳と言う若さでの逝去。本人はどれだけ無念だったろうか。あれほど佐渡島のコースを愛したR子さんの鎮魂のために、何とかゴールまで辿り着きたい。私の考えはそんな風に変わって行った。悲しみを抱えての206kmの道のり。そうだ、胸には黒い喪章を着けよう。そうすればR子さんと一緒に走ったことになりはしないか。 「佐渡島一周」で2度一緒に走った秋田のJunさんも私の考えに賛同し、黒いリボンを着けて走ることを申し出てくれた。佐渡の後、520kmもの「川の道」を2度制覇した若い彼との実力差は相当なもの。だが他のランナーと比較しても意味はない。どんなにボロボロの姿でも、それが私の現実なのだから。これで覚悟は決まった。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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