カテゴリ:ウルトラマラソン(未)完走記
< 謎を解く旅 >
10月16日金曜日。この日はパリーグCS第1ステージの緒戦。監督の辞任問題ですったもんだの大騒動があった我が東北楽天が、3位の福岡ソフトバンクホークスをKスタに迎えての戦いだった。結果は11対4の圧倒的な差で勝ち、第2ステージ進出に王手をかけた。エース岩隈の完投、主砲山崎のホームランを初めとする先発メンバー全員安打の猛攻は予想外のもの。この夜は遅くまでスポーツニュースを観、高ぶる気持ちで床に就いた。 だが眠ってから1時間後、0時過ぎに愛犬の異様な鳴き声に目が覚めた。犬小屋へ行って愛犬を庭に放す。きっとオシッコが詰まったのだろう。急いで裏庭へ行った愛犬が、暫くしてから戻った。案の定と安心して鎖につなぎ、再び床に就く。だが、結局3度起こされ、最後は真夜中の散歩となった。原因は下痢。それも血便だった。朝の5時にも起こされ、再び散歩へ向かった。異変の原因は、餌の配合率しか思い浮かばない。本来の餌が足らなくなって、他の餌を多目に混ぜていたのだ。 朝食後、妻が友人と会うために外出。その後、私も駅に向かった。会津若松行きのバスは9時50分の発車。ゆったり1人掛けにすれば良いものを、混み合うと考え1番前に相席で座った。品の良い老婆を横にして、私はスポーツ新聞の楽天勝利の記事に夢中。だが、徐々に暑くなる。1番前の席は直射日光が当たるのだが、隣の老婆はスヤスヤとお眠り。我慢して暑さに耐える。これも来月走る沖縄本島縦断のための訓練だ。 会津若松が近づいた時、老婆が「運転手さんが居眠りしてる」と私に耳打ち。座席からの角度でそんな風に見えなくもないが、もしそうだとしたらバスは蛇行し、道路脇のガードレールに激突するだろう。そう話すと、ようやく老婆は静まった。1番前にいる私達の会話は、当然運転手にも聞こえたはず。高速道路から会津若松市内に入り、老婆はそそくさと下車した。 市内の地理は良く分からないが、兎も角終点まで行ってみよう。終点近くなってから運転手さんに県立博物館の場所を尋ねた。だが知らないと言う。ちょうどその時、博物館への矢印が車内から見えた。案外近そうで良かった。リュックを背負ってブラブラ歩き、バス停で東山温泉行きの時刻を確認。そこからは8時台のしか出ていない。マラソンのスタートは8時だから、これではとても間に合わない。 歩いているうちに、お城への標識を発見。時間は12時半過ぎ。まずはお城へ行って昼食にしよう。トイレに寄ってから城内へ入る。天守閣の前にお誂え向きのベンチがあった。これは良い。どっかと腰を下ろし、リュックからお握りを取り出す。これも来月の沖縄行きの旅費を捻出するための倹約策として、この朝自分で作ったもの。塩加減も良かったし、海苔、梅干、昆布の佃煮の味もグー。おかずの卵焼きと漬物も美味しかった。 食べ終えて直ぐ、目前の観光案内所に気づく。近づくと観光用のパンフレットが何種類か置いてあった。正確そうな市内の地図を開くと、明日訪れる東山温泉も書き込まれている。案内所の人に、距離を尋ねるが車でしか行ったことがないと言う。しかもスタート地点のホテルはさらにその奥で、地図からはみ出しているようだ。 地図に書き込まれた距離を目算すると、最低でも6kmはありそう。駅前のホテルから歩くとたっぷり1時間半はかかりそうな気配。だが、大体の方向と距離が分かって少し安心。さて、会津若松城の別名は鶴ヶ城。戊辰戦争の時は官軍の猛攻撃を受けて焼け落ちたはず。それを飯盛山から眺めた白虎隊の少年藩士達が自害して果てたのは有名な史実。 今年はNHKの大河ドラマ「天地人」が人気沸騰。名門上杉氏が本拠地の上越から秀吉の命によりこの会津若松の地に移され、家康の怒りを買ってさらに米沢へと追いやられるストーリーが、人々の同情を呼ぶのだろう。例年より観光客が相当増えている感じだ。だが、見上げる天守閣がコンクリート製のちゃちなもので、いかにも人工物と分かるのが興ざめだった。 地元の方に道を尋ねながら、次に県立博物館へと向かう。場所はお城の近くで、一見して博物館と分かる佇まいだった。玄関に立つと、秋の企画展として「岡本太郎の博物館 ~はじめる視点~」の案内板。これは良い時に来た。かなり期待出来るかもと心が騒ぐ。私が博物館へ来たかった理由は「会津とは何か」を探ることにあった。 太古、人々は長い旅の末にこの盆地に辿り着いた。一方は日本海側から、そしてもう一方は太平洋側から。それらの人々が集まり出会った地が「会津」の名の由来であることを以前から知ってはいたが、それを実感させる展示がこの博物館で見つかるかどうか。「会津」の謎を解く鍵の発見。それが翌日のマラソンに次ぐ私の重要任務だった。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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