テーマ:☆詩を書きましょう☆(8463)
カテゴリ:詩
H氏へ あなたが喉の手術をしたと 故郷から電話がありました まだ話すことのできないあなたは 字を書くことで心を伝え 別れ際に一人泣いていたということでした 思えばわたしが故郷を離れ つまりわたしがあなたと別れてから もう二十年も経ったのですね 慈愛に満ちたお母様はまだお元気なのでしょうか 張り切っていた奥様は その後婦長を辞められたと伺いました 皇太子にあやかって名付けられた浩美さんは もうお嫁に行かれたのですか そして いかにも腕白そうだった哲史君は 今では立派な青年になったことでしょう まだ悩み深い青年であったころ 私はあなたと出会い いろんなことを学びました 早くから父を失った私には あなたの生き方が手本になったように思います あまり細かいことは言わなかったけれど 私にはあなたの態度で あなたの言いたいことがよくわかりました 図書館員としてはまるきり駆け出しの私だったけど 無我夢中で何とか良い図書館を創ろうとしていたあの頃を 今でも誇りに思っています その後私は様々な土地を巡ることになり あなたは変わらぬ信念に従って 心のこもった仕事を重ね 図書館員としての永い勤めを全うされたと聞きました そして あなたは 私の最初の職場でもあった大学病院のベッドに 今 臥せっているのですね 思えば何だか不思議な気持ちです 電話であなたのことを伺っても 私はさほど驚かなかった気がします あなたが入院していたことを 既に知っていたばかりでなく これくらいのことで あなたの生き方が変わるなんて 私には思いつかなかったからです いったい手術がなんですか それであなたの声がもう聞けない訳ではないでしょう もし間違って声を奪われたとしても あなたの生命そのものを奪われた訳ではないでしょう もし天国の神様がちょっと早めに迎えに来たとしても これまであなたが一生懸命生きてきた栄光の日々を 誰も奪うことはできないでしょう 早く元気になってください どんなにヨレヨレでもいいじゃないですか そしてまたお会いして 「やあ お互いに歳を取ったね」となんか言いながら しっかりと手を握り合えることを 心の底から願っている私です 1991.9.7 第二詩集『透明な手紙』から H氏は私の2番目の職場の上司だった方。新しい大学図書館を創るため、私は昭和40年の4月にその職場に転勤した。まだ新しいキャンパスは建設されておらず、それまでの大学の古い木造校舎を借りてのスタートだった。それは私が良く走っている公園の下にあったのだが、今は全て撤去されている。父を早くに失った私にとって、氏は父親のような存在だったと思う。 この職場には6年3カ月もの間お世話になった。この間私は夜間大学で学び、卒業と同時に結婚した。まさに青春そのものを氏と共に過ごしたのだった。氏はこよなくお酒とコーヒーと煙草を愛した。きっとその結果、喉頭がんに罹ったのだと思う。私はこの職場から6年3カ月後に東京へ転勤した。それが長い転勤生活の始まりとなった。氏の入院を聞いたのは、遠い沖縄の地。そして、氏の訃報を聞いたのは、次の転勤先である四国の松山であった。 慈愛に満ちた氏の笑顔とあの声を、私は忘れることはない。私が大学図書館員として生きることになったのも、全ては氏の指導によるもの。東京勤務時代に氏をはじめ元の職場の仲間と一緒に、東北の片田舎を旅したことが、氏を見た最後になった。私は数日前に古稀を迎え、氏の亨年である68歳を少しだけ超えたのである。Hさん、どうぞ安らかに眠ってくださいね。本当にお世話になりました。合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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