マックス爺のエッセイ風日記

2015/01/22(木)05:19

旅の写真館 その6

写真(471)

<大阪の街>  昨年の9月、日頃別れて暮らしている家族が大阪に集まった。私の古稀を祝う会を行うためだった。私達夫婦と東京の次男は前日から大阪に着いており、その日の朝早くからホテルを出て大阪の街を歩いた。  最初に向かったのが住吉大社。これは次男の希望だが、私も前から行きたい所でもあった。摂津国一宮だけに古い歴史を秘めるとても立派な神社で、奈良時代はこの付近にあった住吉の津から遣隋使船や遣唐使船が出航したようだ。           次に向かったのが聖徳太子ゆかりの寺である四天王寺。ここも次男のリクエストだったが、私は大阪勤務時代に訪れたことがある。境内から日本一ののっぽビル「あべのハルカス」が見えたのも良い思い出だ。  次に私の希望で大阪歴史博物館へ行った。ここは前から訪れたいと願っていた場所で、付近には古代の「難波宮」の跡地もある。博物館の展示は満足出来るもので、階段の踊り場からは目の前に大阪城公園が見えた。               そこから天保山へ移動。ここで高松の長女家族と合流。妻は何度か会っていたが、私は実に7年ぶりの孫達との再会だった。海遊館(水族館)を楽しんだ後、船に乗って大阪港を横切り、泊ったホテルの裏側にある桟橋に到着した。翌日の早朝はここからUSJへ向かうのだが、この日は夕方から道頓堀方面に出かけた。  恐らくは難波の地下街だと思う。さすがは大阪、大変な賑わいだった。                          久しぶりの道頓堀。三浦洸一が歌った「大阪の人」の歌詞が浮かんだ。               赤いネオンの道頓堀に               影を映して唄う いとし愛のワルツ               聞けばまた湧く 逢いたいこころ               ああ辛かろうと泣かない 大阪の人 (二番)  夕暮れが迫る道頓堀。堀の水が夕日に染まる。商都大阪は水の都。そして歌の都でもあろう。                  有名なグリコの大看板は、「綾瀬はるかバージョン」になっていた。初めての道頓堀に興奮する孫達。何か大きなことが起きると、橋の上から下の川に飛び込む若者がたまにいる。  道頓堀周辺には面白い看板が多い。歌で有名な宗右衛門町もこの近くにあるようだ。そこで「宗右衛門町ブルース」の一節を。   きっと来てねと泣いていた   かわいあのこはうぶなのか   なぜに泣かすか宗右衛門町よ   さよならさよなら又来る日まで   涙をふいてさようなら              この夜は家族そろって焼肉を食べた。我が家もそして長女の家でも、滅多に外食などしない。妻は渋い顔をしていたが、これは私のおごり。孫達が美味しそうに食べる姿を見るのは、年寄りの秘かな喜びでもある。  法善寺である。織田作之助の「夫婦善哉」の舞台でもあるが、私が思い出すのは藤島桓夫が歌った「月の法善寺横丁」の方だ。  包丁一本晒に巻いて  旅に出るのも板場の修行  待っててこいさん 哀しいだろうが  ああ 若い二人の想い出にじむ法善寺  月も未練な十三夜                 そして法善寺と来れば水かけ不動。この日も大勢の善男善女がお不動さんに水を掛けようと、静かに順番を待っていた。  水を掛けられ通しの不動明王は、緑色の苔で全身を覆われていた。これも篤い信心の表れ。大阪の庶民の心なのだろう。               ここでも私は歌を思い出す。フランク永井があの美しい低音の声で歌った懐かしい「大阪ぐらし」だ。その歌詞が石碑にも刻まれていた。            がたろ横丁で行き暮れ泣いて            ここが思案の合縁奇縁            おなごなりゃこそ願かけまする            恋の思案の法善寺 (二番)  こうして大阪の街を堪能した私達は、再び難波駅からホテルへと向かったのだった。<不定期に続く>

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