2015/11/18(水)04:22
1冊の地図を持って(2)
実に広い庭だ。大きな池には4つの島が配置してあるようだが、どこまで池が続いているのか、全体が見えない。
庭園の木が大きい。樹齢は300年ほどだろうか。なよなよした女性的な美と言うより、がさつな男性的な美であり、やはり武家の庭なのだろう。
道の奥に小さな社があり、絵馬が飾ってあった。それが木の板ではなく、紙に描かれた今風の絵だった。こんなのは初めて見たが、決して悪いものではない。
殺風景と言うか質実剛健と言うか、男性的な庭にも幾ばくかの紅葉が見える。そこだけが明るく照り映えているように感じた。ズームで撮ってみる。
これが池の中の島。手前が亀島で、その向こうに重なって見えるのが鶴島。おめでたい名前をつけたものだ。
これは対岸から撮った池。池の水に紅葉が反射して実にきれいだった。
小さな橋の向こうに、岩出山伊達家の学問所である有備館が見える。4年前の東日本大震災で倒壊したのを、ようやく復元したのだが、まだ建物の内部は公開されていない。目下資料などを再配置している由。それでも大満足して庭を一周し、元の場所に戻った。国指定の史跡で名勝だけのことはあった。建物も外から見ただけだが、江戸初期の風格は感じた。次にまた来る機会があるかどうか。鳴子温泉と一緒に訪れる手はあると感じた。
有備館の庭から見えた蔵の裏側。どうやらここは造り酒屋のようだ。塀に沿ってぐるりと廻ると、立派なお店があった。
蔵の裏側に見えた丸い物体。この時はひょっとして巨大な蜂の巣かと思って撮ったのだが、後で酒林(杉玉)だと知った。
角を曲がると店が見えた。名前は森民酒造店。ここで一杯飲むのも悪くない。突然そんな想いが湧いた。店に入るとご主人が出て来られた。上品な感じの紳士だ。一杯飲みたいと言うと、立ち飲みはやってないとのこと。原酒の四合瓶を買う。これを城山で飲んだら気分が良いだろう。そこでプラスチックの小さなコップもつけてもらった。
ご主人にご先祖は岩出山伊達家の家臣だったのかを尋ねると、明治になって仙台からこの地へやって来た由。ここはとても水が良いのだそうだ。有備館の隣の造り酒屋はとても優美な酒屋だった。実は有備館の建物や庭園、そして森民酒造の蔵など本格的な写真はまだ載せてない。暫く後のお楽しみにしておこうと思っている。
少し重くなったリュックを背負って歩き出す。間もなく小川にかかる橋があった。欄干越しに川面を見る。川の名は内川。恐らくこの川は岩出山城の濠の役割を果たしていたのだと思う。そして橋の名は「二の構橋」。きっと「にのかまえ」と読むのだろう。いかにも城下の守りに役立ったような名。この地がかつて城下町だった名残だろう。
暫く歩いた先から山道を登った。結構急こう配だ。頂上には行かず、途中から淋しげな石段を登った。頂上にあったのはどうやら城郭の一部のようだ。麓には小学校があり、そこから賑やかな子供の声が聞こえて来た。右手にはさらに坂道が続いていた。どうやら幾つかの峰を拓いて城郭にしたようだ。折角の機会なので、一番上まで裏道を登って見た。
これが頂上にあった城域図。実に広い城跡で、徳川家康が政宗にここに城を築くよう勧めただけのことはある。残念ながらそこは一の丸跡ではなかったようで、政宗公の騎馬像を見ることは出来なかった。城跡も眼下に見える岩出山の街並みも撮らなかった。そして城跡で一杯飲むこともしなかった。当時の城下町の面影を感じることが出来なかったためだ。城を降り、そのまま真っ直ぐに岩出山駅前の「互市」に向かった。<続く>