マックス爺のエッセイ風日記

2019/01/27(日)00:00

やんばる そしてうちなー(13)

心のふるさと「沖縄」(106)

~言葉と名前~     那覇空港に降り立つと、カトレアの花と「めんそーれ」の言葉が旅人を出迎えてくれる。「めんそーれ」。聞きなれない響きだが、私はすぐに古語の「参り候え」(まいりそうらえ)から来たのではないかと感じた。少し異なるが、おおよそは歓迎の意味。この日から私はうちなーぐち(沖縄方言)と向かい合うことになった。そしてさまざまの不思議な名前とも。               耳慣れない言葉と名前だが、そこに何らかの法則があることも分かって来た。「いなぐ」これは女の意味だが、東北では「おなご」。「うむ」は芋のことで、「たーうむ」は「田で栽培した粘り気のある芋」のこと。万葉の時代、芋を「うも」と呼んだのも後で知った。「うも」と「うむ」は酷似している。ああ沖縄の方言には、日本の古い言葉が残っているんだなあと感慨深かった。     現代日本語は5母音だが、かつては「ゐ」(wi)や「を」(wo)のような母音もあった。また「ふぁ」のような発音もあった由。青は「あお」ではなく「あを」だったのだ。ところが沖縄方言の母音はAIUの3つ。だから御嶽(おんたけ、おたけ)が沖縄では「うたき」。O(お)はU(う)に、E(え)はI(い)に変化したわけだ。その原則が分かれば、理解は早い。                   不思議な変化はまだまだある。N音とM音の転置だ。例えば地名の新原は「みーばる」と読む。「にい」が「みー」に変化した訳。原を「ばる」と読むのは九州と共通。沖縄本島南部にコマカ島と言うのがあるが、地元では「ふまか」。khoのkが欠落しhoがfuに変化した訳だ。玉那覇(たまなは)と言う地名・人名を方言では「たんなふぁ」とfa音が残り、離れが「ぱなり」とp音まである。    瑞慶覧(ずけらん)や座津武(ざっつん)のように、先頭が濁音の地名、人名が結構多いのも沖縄の特徴だ。おまけに最後が「ん」となるのは内地では少ないと思う。だが鹿児島には知覧(ちらん)のように「ん」で終わる地名がある。鹿児島の伊集院に対して、沖縄は伊集(いじゅ)とかなり良く似ている。人の交流があったことの証とも思える。実は琉球と薩摩との因縁は深い。                    薩摩藩が琉球王国を征服後、内地と同じ沖縄の名前は字を変えさせた。例えば中間は仲間、石峰は石嶺、松村は松茂良(まつもら)、中山は仲井真(なかいま)、中曽根は仲宗根と言うようにだ。はっきり一目で琉球人と分かるように、識別したのだ。一説によれば、内地と同じ姓が沖縄にあるのは、倭寇が原因とも言われる。宮古島の仲宗根豊見親の祖先は、元々目黒森姓。倭寇だったのだろうか。     沖縄の姓のほとんどは地名から来ていると言って良い。琉球王朝時代、按司(あじ=地域の支配者)は沖縄本島の間切(まぎり=現在の市町村)を転任した。そしてその間切名を姓とする習わしがあった。ところが任地が変わると姓までも変わる。だから血族で姓が異なるのは普通。その代わり士(さむれー=侍)や貴族の男子は、共通の漢字を名乗頭に用いる。貴族の場合は「朝」。屋良朝苗がその例だ。           貧しかったかつての沖縄では、大勢の県民が国の内外へ移民した。南米やハワイなどもその行き先。戦後ジャイアンツにいた与那嶺選手はハワイ出身で、うちなんちゅ2世。内地で差別された沖縄人の苦労話も聞く。そのため島袋から島へ改姓し、金城を「かねしろ」と読ませるなどしたとも。私は今でも沖縄の地名や人名には敏感で、そのルーツを考えてみる癖がある。<続く>  昨日はツアーで蔵王の樹氷を見に行ってました。最近PCの入力がおかしくなり、小さな文字しか出なくなりました。皆さんからはどう見えていますか?もし見えにくかったらお許しを。(^_-)-☆

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