マックス爺のエッセイ風日記

2019/01/31(木)00:00

やんばる そしてうちなー(16)

心のふるさと「沖縄」(106)

~沖縄本島単独1周ランのスタート~          <沖縄 糸満市摩文仁平和祈念公園ロータリー>  平成20年7月某日。当時64歳だった私は、摩文仁の平和祈念公園に立っていた。いよいよ沖縄本島単独1周ランの始まりだ。この日、那覇空港から国際通りの宿に向かい、ランニング姿に着替えて、沖縄の走友の車で摩文仁まで送ってもらった。着いたその日のうちに走り始めるのは、日数を最短とするため。「7月の沖縄を走るのは自殺行為」と警告したのは彼だが、私は案外自信があった。  ひめゆりの塔    摩文仁公園を記念すべきスタート地として選んだのは「NAHAマラソン」の縁。ここが中間地点で馴染みがあった。それにトイレや水飲み場も知っていて、安心感があったのだ。沖縄本島の最南端から北へと向かい、今日は国際通りのホテルまで走る。距離は22km程度か。このコースは何度も走っていて、馴染みがある。走り出してすぐ、NAHAの24km地点「ひめゆりの塔」前を通過。     国道はやがて下り坂になり、左手遠方に名城ビーチが見えて来る。ここらは27km地点だったか。暑さは感じるが案外順調だ。転勤で内地へ戻って来てから、私は距離の長いウルトラマラソンを始めた。そのために暑い夏でもずっと練習していて、多少の自信はあった。沖縄でもまあ、何とかなるだろうと。  糸満ロータリー    糸満ロータリーも懐かしい場所。ここはNAHAの34km地点。近所には倉庫よりも大きな「門中墓」や、聖地白銀堂がある。糸満は漁師の街で、かつて甲子園を沸かせた「沖縄水産高校」もある。また「南部トリム」のスタート・ゴール地点で、かつては阪急ブレーブスのキャンプ地でもあった。怪我でNAHAを欠場した際、同じ走友会のK山長老をここで応援したのも懐かしい思い出だ。      <奥武山公園 左のトラックがNAHAマラソンのスタート・ゴール地>  NAHAの第5回大会。つまり私の記念すべき初フルマラソンは、37km地点で激烈な痙攣を引き起こし、10分ほど倒れていた。それでもスポーツドリンクをもらって復活し、何とかゴールした苦い思い出。結局走り方を知らなかったのだ。空港への新コースではなく、昔の旧コースへ向かった。懐かしかったが、体調に異常を感じて休憩。沖縄へ来ていきなり走り始め、脱水症状になったのだろう。  夜の国際通り     何とか走ってホテルへ戻った。7時過ぎでもまだ明るく、気温は30度も。初日は22kmを走れたが、翌日は名護まで50kmほどある。それでも賽は投げられた。今更後戻りは出来ない。ホテルでシャワーを浴び、馴染みの居酒屋で、久しぶりに沖縄料理を堪能した私だった。<続く>

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