2020/11/05(木)00:00
負け犬の遠吠え(13)
~認知症との付き合い~
郵便局へ行ったが、ブラインドが下り照明が点いてない。おかしいなあ、今日は火曜日なのに。ところで今日は何日かと考える。11月3日は「文化の日」。そうか祝日だったかと納得。そこへ大学生らしき青年が来、郵便局が閉まっているのに驚いている。「今日は文化の日だよ」と得意げな私。帰路も当然歩き。日ごろの運動不足を解消したと思えば良いのだ。すたこらさっさ。
さて次は食料品の買い出しだがどうするか。自転車のバッテリーは充電済み。だが折角だから今日は歩きに徹しよう。今後さらに歳を取ったら、自転車も危険に感じる時が来る。その時のための実験を兼ねたトレーニング。荷物を背負って自宅とスーパーの往復。リュックの中には、ナップザックとエコバッグも入っている。行くのは2軒。最初の店では食器用洗剤と市指定のゴミ袋だけでOK。
次のスーパーへ行くには旧国道と国道を横切る必要があるが、車道が混んで狭い上歩道に段差が多い旧国道はバランスの悪い電動自転車にはとても危険。それに重い荷物を積んだら余計ふらつく。信号がないため道を横断するタイミングが難しい。まだ体力と判断力があるうちは何とかなるが、いつまでもあの道を漕げる自信はない。歩くための筋肉を鍛えておく必要があった。そうそう、冬は道路が凍るしね。
2軒目のスーパーで買うのは食料品。魚、肉、果物、野菜、揚げ物、豆腐に納豆、麺類、牛乳、パン、安い袋菓子。代金を支払って荷物の仕分け。重たくてかさばるのはリュックへ。軽くてかさばるのはナップザックへ、重くてもコンパクトなのはエコバッグへ。リュックは背負い、ナップザックは右肩、エコバッグは左腕で。さほど負担にもならず、自転車より確実で安全。そして時々デジカメで撮影。
荷を負ひて辿る家路や花八手
帰路は裏道を通ってわが家へ。その途中に俳句を一句。八手の花は冬の季語だが「花八手」とすると「五音」で済む。わずか十七音しかない俳句ではそのような短縮形が結構ある。11月の俳句教室の兼題(宿題)の季語は「冬」。冬に因むものなら何でも可。だがこんな生活感溢れる俳句が、素直で良いと思う。買い物をして運動にもなり、カット用の写真を撮り俳句も詠む。まさに一石四鳥だ。
帰宅後直ちに買ったものを所定の場所に。3匹のアジは開いて塩を振り一夜干しに。カツオの切り身は出汁醤油と味醂に漬け込み、焼き魚用に。詰め替え用の食器洗い用洗剤を容器に注入。昼食はパン、ココア、ピクルス、魚肉ソーセージ、野菜の煮物と果物。食前に測定した血圧も正常値だった。午後は布団と洗濯物を取り込み、食器を洗い、撮ったばかりの写真を整理する。今日のがそうだ。
たまたまTVを点けたら認知症の専門医が自分の認知症と戦う番組。90代の元ドクター。介護は83歳の妻と同居中の長女の2人。70代後半でドクター自身が認知症になり、元専門医としてどう生きるかを描くドキュメンタリーだった。病人の自分をドクターの自分が診断するが、徐々に進行する症状。それでも昔とは違う自分を何とか受け入れようとするドクターと、優しく見守る家族たち。
日本の認知症医の第一人者だった元ドクターは、今でも毎日日記を書く。自分が感じたことは日本語で、家族に対する思いは英語で。きっと苛立も遠慮もあるのだろう。それでも認知症の現実を訴えるため、各地に講演に出かける。現役時代ドクターは先輩医からこう言われたそうだ。「君の認知症研究は君自身が認知症になることで完成する」と。まさにその実践となった老後を、元ドクターは自宅で家族と過ごす。
前妻の様子がおかしくなったと感じたのは、彼女が50代の頃だったろうか。一緒に歩いていても突然単独行動することが増えた。自分がパートで稼いだ分はおろか家計をやり繰りした分を彼女名義の預金とし、年金分割を妄想するほどお金と食べ物に拘る。長女や自分の友人には夫が彼女のお金を盗み、県外に彼女がいると言いふらす。無論そんな事実はないが、「お父さんとは親子の縁を切る」と長女に宣言された。離れて暮らしているため実態が分からず、何かと援助してくれる母の訴えを鵜呑みにしたのだ。
認知症で入院した実姉を退院させるべくした努力も空しく、自身の人格が次第に崩壊する妻。だがホームヘルパーの経験から自分の判断は正しいと言い張り、長女一家と同居する家の新築経費まで送金する始末。家庭裁判所での離婚調停となった。私と暮らすより長女と一緒の方が彼女の精神安定には良いだろうと「手切れ金」も支払ったが、彼女はついに預貯金額を明かさないままだった。
長女一家と妻は今、どう暮らしているのだろう。一人になった私は自分で身を守るしかない。いずれ3人の子供たちには手紙を書く予定。老父の現状と今後の考え方など。彼らの写真は一度送った。残りの写真を送る時に手紙を同封しようと思う。今は新型コロナに負けずに頑張るだけ。人生は全てが武者修行。かくしてマックス爺の修行は今日も続くのであった。<続く>