テーマ:★オリンピック★(1569)
カテゴリ:スポーツ関係
~スポーツの力~
東京オリンピックの最終日には「男子のフルマラソン」がある。だが、疲労が出て観戦中に眠ってしまった。後半は起きて写真を撮ったが、どうしても辻妻が合わない。そこで再放送を観て、目ぼしい場面を撮って合成。話の内容がちぐはぐなのはそのせいだ。どうもスミマセンね。 スタート後の選手たち 北海道旧赤レンガ庁舎 それでも都合が良いのは、札幌のコースは同じ個所を複数回回ること。それに再放送も観て何とか「辻褄」を合わせた次第。だから選手の数が多かったり、少なかったりする。女子のフルや競歩の50kmでも相当リタイヤが出たが、この日の札幌も暑さが厳しかった。 日本の3選手。大迫傑は2度日本新を出して賞金2億円を稼いだ男。今回が最後のレースと決めている。服部勇馬は仙台育英から東洋大に進み、マラソンに目覚めた。東京オリンピックの選考レースで好記録を出し、札幌に来た。中村匠吾は富士通のエース。服装がそれぞれ異なるのは、他のレースの映像を放送局が使ったのだろう。 大迫はトップ集団に食らい付いた。アフリカ勢のスピードは格別で、しかも30度以上の気温の中で全力を上げて走ると体内温度も上がる。そこで各国は様々な「暑さ対策」をしていた。大迫はしょっちゅう帽子を替えた。帽子の中の氷が直ぐに解けてしまうからだ。中村と服部は次第に置いて行かれ、トップ集団から離れてゆく。 左はレースの途中痙攣で走れなくなったエチオピアの選手。20名以上体調不良で棄権したと聞いた。右は日本の服部選手。ゴール後立ち上がれなくなり、車いすで救護された。 ケニアのキプチュゲが悠々ゴール。オリンピックで2連覇だ。彼は非公式だが1時間59分でフルを走っている。2位のナゲーエ(オランダ)と3位のアブディ(ベルギー)は共にアフリカのソマリアからの難民で家族同士も知り合い。国は異なるが練習を一緒にしている仲、再放送や表彰式の解説で知った。日本人にとっては不思議な話だが。「難民団」としての参加でなくて幸せだったかも。 大迫は39km地点まで2位グループにいたが、「アフリカ勢」のスピードに付いて行けなくなる。41km地点の8位から最後の力を振り絞って2人を抜き、6位になった。左はゴール直前の彼だが。かなり苦し気な足取りだ、タイムはトップから2分03秒遅れの2時間11分26秒みたい。自己ベストより6分ほど遅いが、この気温では仕方ないだろう。 ゴール後のインタビューでも、まだ大迫は疲れた様子。だが耳の金のピアスがいかにも彼らしいと感じた。メダルは獲れなかったが、ピアスだけは本物の金だ。今後について聞かれると、後輩に託したいと答えていた。東京オリンピックを目指して3年間も頑張って来たランナーには、やはり休養が必要と感じた。 今大会で感じた「不思議さ」の一つが女子バスケットボールの活躍。何と準決勝でフランスを下して決勝戦に出たことだ。だが対戦相手が常勝アメリカと聞いて、正直これは惨敗だろうと思っていた。確かにスタート直後から点を取られた。何せアメリカの女子は身長2mの選手もいるのだ。それをスピードと得意の「3ポイントシュート」で立ち向かう。 途中で買い物に行ったため、結果は知らないままだった。 試合後インタビューを受ける中心選手。てっきり惨敗だと持ったらトンデモナイ。何と75-90。負けは負けだが、大健闘と言っても良いのではないか。 世界を相手のバスケットボールで銀メダルは立派なもの。誇っても良いくらいだ。今大会では、オリンピックで初めて勝利した競技が結構あった。そして初めてオリンピック種目になったゲームでもかなりメダルを獲った。コロナ禍におけるオリンピック開催に抗議するマスコミや野党の影響を受けてか、反対する国民の声もあったが、私は「日本だから開催出来た」と思っている。 オリンピックの最終日もまだ日本チームは頑張っていた。そして最後の閉会式を私も観たが、写真の整理が全く出来ていないため載せられない。正直な感想は「開会式よりずっと良かった」だ。オリンピック旗は東京都からIOCに返され、次回開催地パリ市長の手に渡された。パリ市長も女性だった。 国立競技場の大スクリーンには、早速パリからの歓迎映像が映った。実に素晴らしい映像。パリの新種目はブレークダンス。「ブレーキー」と呼ぶらしい。そしてパリ市内の観光名所が、競技会場にもなるみたいだ。後3年間生き延びて、「パリオリンピック」も観戦したいものだ。ではまたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[スポーツ関係] カテゴリの最新記事
|
|