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カテゴリ:【 認知症だった父 】
洋服は ひとりでは着られないけど 『コレ着て』『脱いで』 と言ったら その通りにできる トイレの場所はまだわかるけど ギリギリまで我慢して トイレに行こうとするから 便器を見た途端 安心して床に漏らしてしまう! それが毎回だから 家族はうんざりする 食事は残さずにきれいに完食! 下の歯が無いから 柔らかいもの 細かく調理してあっても 1~2時間は時間を要する 始めは一緒に食事をしても 父ひとりで食事をし終えることになるけれど 毎日 見えない相手と何かしら話しているので 本人は寂しくないらしい ちょうどよかったりして^^ 最近 父のことで思うことがある 味覚がわかるようでわからない? 酸っぱいみかんも 『酸っぱい』『美味しい』 と言う 体温調節ができない? 『寒くない?』 と聞いても 『そうか? わからなかった』 と! 干からびた肉体なので 裏起毛の洋服を着せてはいるのだけれど 例年なら 寒い寒いと言うはずの室温の部屋でも 現在は何も感じない様子 言葉が 単語が 出てこなくなった! 言葉の意味や そのものの意味を 忘れてきているようだ リモコンが テレビをつけるものと思っていない(だから父の部屋のテレビのリモコンが紛失中!) 『あれ』『それ』 と 言いたい事があっても 説明するものが本人もわからない様子 思い浮かんでもすぐに忘れてしまうから 『何を言おうとしていたのか忘れた』 と言うことが多くなった 父の頭から 去年亡くなった妻の存在が消えた! 『お母さんは?』『お母さんは?』 と 日に何度も うるさく聞くけれど 確認すると この人物は自分の(父の)母親だと言う もう22年前に死んだ祖母なのに! 自分のことをまだ50代だと思い込んでいるから 当時の父だって 祖母のことは そんなに愛情を示しているような雰囲気はなかったけどね! 私と同じか? 私も 自分の母親のことは大嫌いだったけど 母親が亡くなってからわかったことがある 母親に愛されたかったってこと 愛してもらえなかったから 愛してほしくて色々自分なりにやってきたんだなーって! 大嫌いな母だったけどねー 残念だわ 父は現在84歳。 認知症を患ってどれぐらいになるのかな~ 平成18年11月あたりからかしら もっとその前から おかしかったんだけどね その頃はまだ物忘れ程度に思われていた クルマのワイパーが 動いたまま止められないとか 車内からトランクを開けられずにボンネットを開けたとか 車内温度が上昇して 窓ガラスが真っ白に曇ってしまったけど クルマのことはみなわからず タオルで一生懸命~運転しながら拭いたりして!(;^_^A 現役の医者である息子に免許を奪われた父だけど クルマ好きなひとから免許を取り上げると ボケがもっと酷くなると言われたけれど 人のクルマにぶつけながら 相手の制止を振り切って 警察からも逃げるようじゃね~ このときは逃げたのではなく、約束の場所(地区別の交番)の場所がわからず ぐるぐる・・・ あのひとが 運転している時代があったなんて いまでは想像もつかない! なんて 小樽(おたる)はよく行ったな♪ 亡くなった母がパチンコ大好きでね、札幌市内だと誰に会うかわからないから と 遊びたいときは小樽まで行っていたんだよねー 午前中はパチンコで遊んで お昼は小樽の寿司やさんで食事をし アーケード街の喫茶店で 好きな飲み物を注文し♪ そして長崎屋かどこかで買物をする そんな土日の過ごし方。 懐かしい! あのときの母は まだ若かったな そうそう 『ちょっと!そこのひと~』 と今朝、父に呼ばれた! とうとう私の名前も忘れたか? そういう日なのかな 今日は! 私の娘の雛子(ひなこ)の名前は挙げて 『雛はどこに居る?』 と ちょっと意地悪して 父に尋ねてみた 『雛子は誰かわかる?』『雛子はお父さんから見て何?』『私は誰かわかる?』 『わかるに決まってるだろう~』 『そう じゃぁ~誰? 名前は? 続柄は?』 無理でした! というか もうこの『続柄』 単語の意味すらわからないのかもしれません もう~会話不成立っす にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月02日 10時20分20秒
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