カテゴリ:ヨーガ
私は昔から、救いがないほどの運動音痴で、
スポーツ観戦にもほどんど興味がない。 当然のように興味がわかなかった、あのトリノオリンピック。 しかし、あのフィギュアの荒川静香選手には、非常に衝撃を受けてしまった。 「金メダル」という爆弾で目が覚めた、ということもあるが、 一番感心したのは、あの彼女の素晴らしい&ノーミスの演技を支えた 底知れない「メンタル力」。 「金メダルが取れるなんて思ってもいませんでした~」 などと、インタビューでコメントしていた彼女をテレビで 聞いていて、ふと、こんなことを思った。 荒川静香選手の心は、まさに「ヨーガの境地」だったのでは!!! おいおい、スポーツ、という究極の「競争」の世界なのに、 その対極みたいなヨーガなわけないだろう、 スケートとヨーガなんて似ても似つかん・・・・アホかいな、 とツッコミを入れたくなるかもしれませんが、まあ聞いてください。 (荒川選手のイナバウアーのポーズは、ちょっとヨガっぽい 感じもするけどね・・・ま、それも置いといて・・・) ヨーガ、というのは、単に体を奇妙にひねる 身体的エクササイズではありません。 究極は、心の止滅や静寂を目指す、もっともっと深~い精神世界。 荒川選手のコメントを、テレビで聞くにつれて、演技中の心の中では、 おそらく、このヨーガ的心理状態に非常に近い何かが作用していたような 気がしてしょうがないのである。 オリンピックなんていう究極の舞台では、あまりのプレッシャーのために、 「執着」と「恐怖」という、二人の最大の敵がむくむくと姿を現す。 「勝っても負けても、どっちでもいいもんね~」なんていう、中途半端なアスリートは、 オリンピックという大舞台にまで、勝ち上がってこれるはずがない。 そこは、身体能力的に世界レベル&心理的にも世界レベルの「負けず嫌い」 が集まる、非常に厳しい現場のはず。 「今度こそ、1位を取ってやる!」 「なんとしても自己最高記録を出さねば」 「この技でミスしたら、減点されちゃう」 「いや、ミスするはずがない。こんなに練習したんだもの」 「もし、転んだらどうしよう・・・」 「神さま、奇跡を起こして・・・」 「結果への執着」&「失敗への恐怖」が、怒涛のように押し寄せる。 心のプレッシャーが、即座に体に伝わる。 すると、いつもは絶対しないところで、うっかりミスをしてしまう。 「心と体はひとつ」。 最大の敵は、まわりのライバル選手ではなく、結局は「自分」。 自分の心が生み出した、目に見えない敵・・・。 荒川選手は、そんなことを、経験上から、十分理解していらしたのでは ないだろうか。 私が大いに影響を受け続けている、 有名な古代インドの聖典「バガヴァット・ギーター」に こんな一節がある。 <あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。 行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ> ヨーガの目的とは、波打つ心の動きを止め、 「結果」を放擲(放棄)し、 「今」という瞬間に集中し、三昧の境地を目指すことである。 そのために、あんな体に負担のかかりそうな、様々なポーズをとって、 瞑想をする。全てのポーズは、瞑想を深めるためのツールなのだ。 瞑想を深める最大の敵は、過去への悔いや結果への執着だ。 荒川選手が目指したゴールは、おそらく、 この「悔い」や「執着」を捨て去る、 ヨーガ的な境地だったのではないだろうか? 直前のショートプログラムの結果で、 2日目のフリーが3位スタートだったということも この「執着」から離れるのにふさわしい、居心地のいい展開だったのかもしれない。 (最初から1位や2位につけていると、欲とプレッシャーで圧倒されて 身が持たない) もちろん、私は荒川選手じゃないので、心の中まで知るべくもないが、 今回のトリノに臨む心境は、こんな感じだったのではないかと推測する。 「今まで、精一杯協力してくれたコーチ陣や両親に、 最高の演技を見せて喜ばせたい。 メダルを取る取らない、勝ち負け、ではなくて、自分自身が納得いくように 最高の舞台で最高の演技をして、とにかく楽しんで滑りたい・・・」 すでに昨年、世界選手権で有終の美を飾りって引退しようと考えていたのに、 トリノに出るチャンスまでが与えられた。ならば、この最後のチャンスを フィギュアスケーター人生最高の体験にしよう、 そのためには、結果にこだわりすぎず、 「滑る」という、一瞬一瞬のプロセスを楽しんで、幸せな気分で演技しよう! あの8年前の長野の時のような、不完全燃焼だけはなりたくないから・・・ 世界トップレベルのアスリートだから、ライバルの演技や、審査員の目だとか、 変更されて厳しくなった採点システムだとか、 得する技だとか、勝敗の行方が気になって気になってしょうがないのは、当たり前。 アスリートの世界は結果がすべて。いろんなことを 計算に入れて勝負に挑むのは、本能のようなもの。 しかし、今回の彼女は、そのレベルの悩みを捨て去ることに努めた。 そして、「点数をむやみに減らさないこと」と、 「とにかく自分らしく滑ること」にこだわった。 得点にならないイナバウアーも、自分がやりたいから取り入れた。 要するに、スルツカヤや、コーエンのように、彼女はガツガツしてなかった。 これが、結果的には勝因になった。 (あー、偉大なトップアスリートたちに対して、 まったくもって身勝手な邪推して、すいませ~~ん) 執着を捨て去ろうとしていた何よりの証拠は、あのヘッドホン。 確か、彼女は、自分の前に滑っていたコーエンの演技の最中に、 ヘッドホンをかけて会場に入場してきた。 「前の人の音楽や、観客の声援や拍手などが聞こえると、 雑念が入ってしまうので、自分の曲を聴いていた」と、答えていた。 結果は、世界中の人が見ての通りの、まるで氷と一体化したような、 流麗な演技。特に、例のイナバウアーのシーンは、 競技の場であることを忘れさせられるような、 神秘的なまでのオーラが漂っていた。 そう、それはまさに、雑念から解放され スケートを思い切り味わう、三昧の境地。 逆に、気の毒だったのが、スルツカヤ。 最愛の母の病死、自身の長年にわたる持病との闘い、薬漬けの日々。 生命とスケートへの執念、というか意地のようなものが、 顔の表情からにじみ出ていたような気がする。 <今度こそ勝つべきのは、この私よ、私なのよ。 この最後の五輪で、勝たなくては意味がない。 ここまで生き抜いてきたんだから、報われなくてはならないわ> (・・・・なんて想像するのは、まったく勝手な深読みだけど) だが、意気込みだけが空回りしたのか、 まさかの転倒をしてしまった。 そして、結果的に「トリノの女神は、荒川にキスをした」。 (NHK刈屋アナの、会心の名ゼリフ!) 表彰台でスルツカヤは、 絶望と脱力が入り交じったような表情をしていた。 荒川選手は、「金が取れるとは思ってもみなかった」「実感がわかない」と、 何度もコメントし、無邪気な笑顔を見せていた。 スルツカヤがあのセリフを聞いたら、どんなにか 悔しがり、恨めしく思ったことだったろう。 普通、トップ選手ならば、その金メダルという栄光こそ、 のどから手が出るほど欲しいものであるはず。 「やりました!(ついに、私が世界の頂点よ・・・) 本当にうれしいです!」 なんていう、歓喜の言葉を、涙しながら口にする方が自然なのに、 あの無邪気なまでの荒川選手の笑顔。 執着を捨てていたから、自分でも、純粋に「まさか」と、 びっくりしてしまったんだろう。 「結果にこだわることなく、プロセスに専心する」 「一瞬一瞬を、大切に生きる」 「他人と自分を比べない」 「自分が気持ちよくハッピーになることを実践する」 「賞賛をおごることなく、ナチュラルに受け止め、ひけらかさない」 荒川選手の姿勢は、勝利の喜び以上の大事なことを、 私にたくさん教えてくれた気がする。 荒川静香選手、おめでとう! あなたの金メダルの輝きは、 物質を超えた聖なる光に変わって、私に届きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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