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40数年前、私は学生だった。毎月の寮費が5千円、学費が一年で4万円。家からの毎月の送金は20ドル(当時は7200円)だけだった。それでアルバイトに明け暮れする毎日となっていた。
新聞配達、牛乳配達、家庭教師、旅館の客引き、土木作業員、スイカの叩き売り、百科事典のセールスマン、新聞社の世論調査、エトセトラ・・・。 ちなみに、当時の新聞配達は毎日、朝刊、夕刊のそれぞれ120部配って2000円、牛乳は毎朝、200本配って4000円、家庭教師・・・無償となった。セールスマンは一つも売れずに罰金、世論調査2000円、土木作業員は日給500円でありました。 しかし働けど働けどわが暮らしは楽にならず、真夜中、月の明かりの中でじっと足元を見て自殺する事を考えたりもした。 当然、連日連夜のアルバイトで成績は悪く、合格点60点を取るのが精一杯でありました。苦労したのがドイツ語でありました。一回生のときは単位を落として単位保留、2回生にはドイツ語2と共に受講せねばならない羽目となった。しかし、3回生の時からは必修科目から選択科目になったので救われました。 そして4回生の時の卒論、わけも分からずに「古琉球における宗教形態」を一夜漬けで書いて提出した。それがなんとまあー、合格、恩師である丸山教授から初めて褒められたのであります。 しかし、問題が起こった。学費滞納で卒業できないのであります。12万円が欲しい、神様、お金下さい! 私は心の中で呟きながら足元を見て歩いていた。すると何と足元に札束が落ちていたのです。百万円であった。今のお金に換算すると1千万円ほどに相当する。 ギャ―、嘘のようなほんとの話であります。場所は大学本館の階段の下。私は電光石火の早業でそれを拾い上げた。神様が願いを聞き届けてくれた。奇跡だー、神様ありがとう・・・。 ・・・、だが、何者かが心の中で叫んだ。「これはお前のお金ではない、自分のものにしてはいけないのだ~~~!」 これは神様が与えたのではなくて、神様が試しているのかもしれない、と私は強烈な誘惑に逆らいながら判断した。あるいは、それを不注意にも落とした人を助けてやれ、という神意かもしれない・・・。 よく見ると札束を巻いている紙帯に、00大学会計課という印刷が認められた。そこで私はそれを会計課へ届けた。それから階段下へ戻ってまいりますと、顔面蒼白の女子職員が階段を慌しく上ったり降りたりしていた。 そこで、札束を拾って届けたことを伝えると、物も言わずに事務所へ駆け込んでいった。窓ガラス越しに中を見ますと、女子職員がさんざんに叱られている様子が見えた。 今になって考えますと、あの時が私という人間の分かれ道だったような気がする。もし、あのお金を猫ババしていたら、今頃、私という人間は腐った人間となっていただろう。 人格を破壊されて、呪われた人生を送って死んでいたことにもなる。悪を選ぶか、善を選ぶか、ほんとに際どい、紙一重の差でありました。 運が良かったのか、あるいは正義の味方、御先祖様の力が働いたのか、何とも言えません。 12万円は、その話に感動したアルバイト先の親方が出してくれましたので、無事、卒業できました。あの時の感謝の気持ちと、己に打ち勝った喜び、それが今でも忘れられません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月23日 20時42分49秒
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