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2008年11月11日
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 入滅後100年、BC386年(283年説もある)に第二結集が行なわれた。それを契機に、仏教は長老中心の上座部と、大衆を視野に置いた大衆部に分裂いたします。上座部の「戒律至上主義」に異議を唱えて「出家中心主義」が分立したわけであります。その後、前者は11部に、後者は9部に別れます。

意見の食い違いというのは悲劇ですね? 今の日本で、一年間に4対1の割合で離婚が成立しているのも、意見の食い違いなんです。ちなみに昨年は、80万組のうち、20万組が離婚しております。執着を捨て、釈尊の教えである涅槃寂静の世界に入れば、そんな意見の対立はなかった、と思いますが、彼らは悟りが足らなかったのでしょうか?

 それから、さらに分裂が続き、お互いに自分が正しく、他は間違っているとの論争が続くのでございます。この状態を「枝末分裂」と言うそうです。

昨日の11月10日、エルサレムにおける聖職者達の流血乱闘がありましたが、これも「枝末分裂」ですね? 汝の敵を愛せよ! と言われたキリスト様も嘆いておられる事と思います。

 上座仏教の本家、テーラワーダ仏教は伝統を守り、スリランカを経て東南アジアへと広がっていきます。南方へ広がったため「南伝仏教」とも呼ばれます。出家中心主義の仏教も同じく分裂を続けますが、仏教界が形式化し、大衆救済から離れていく傾向に懸念を抱いた一派が、紀元前後に大乗仏教を打建てます。

 大衆救済を掲げる大乗仏教は実践道として「六波羅蜜」を掲げ、その実践者を菩薩、と致します。経典には、般若経、維摩経、法華経、無量寿経、などがあります。竜樹というお方が発起人で、空観という方と協力して大乗教学を完成させた、ということです。中央アジアから中国、朝鮮、日本へと伝わりましので、「北伝仏教」ともいわれます。

 六波羅蜜とは、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ) のことで、八正道で己を磨き、六波羅蜜で世のため、人のために貢献いたしましょう、ということであります。

 さて、仏教界のこういう状況下にあった当時のインドの民間宗教は、祭祀中心で祈祷、呪術、魔術的な信仰が根強く沁み込んでおりました。それがバラモン教と混ざり合いまして、ヒンズー教の外郭を作り始めていた時期であります。

 仏教はバラモン教で行う祭祀や祈祷、呪術、魔法などを排斥し、カースト制に反対、人間は全て平等である、との態度を堅持し続けていた。その高踏的で独善的な姿勢は庶民には受け入れがたく、苦しい修行と悟りによって救われるというのは、拷問に等しいようなものであったと思われます。それより、悩み苦しみ、災いを祈祷と呪術、祭祀によって取り除いてもらうほうがはるかに楽であった。

 一方、仏教は上流階級の王、貴族、富豪商人などのバックアップを受けて、その存立の安定を確保していた。したがって、一般庶民に馴染んでいくという必要性はなかったわけで、ただ、奥深い大寺院の中でお経を唱え、真理とは何か、悟りとは何かを考えておれば良かったのであります。つまり、教理と戯れて自己満足に浸るような傾向が、伝染病のように広がっていきます。

 また、寄進された莫大な土地を小作させて現金収入としたり、同じく寄進された大金をいろいろな商人に貸して、その利息を頂いたりしていた、という記録もございます。これは立派な金融業でもあります。

 庶民離れという仏教徒の傾向が強まるにつれて、インドにおける仏教はその本来の教えから次第に異質のものへと変貌していきます。もちろん初期の大乗仏教には、積極的に民衆に働きかけ、教えを広めて導こうとする仏教徒も多かったわけですが、先祖伝来の民間宗教に依存しきっている彼らを導く、ということは容易ではなかった。そこで、庶民に浸透していく手段として、仏教も呪術的要素を取り入れるようになります。

 梵文の句を集めて「陀羅尼」というお経の類がいろいろと作られ、経典読誦による霊的パワーを信じ込ませようとしました。その延長線上に「密教」が現れたのであります。そこでは大日如来が主人公でありまして、他の宗教のメインとなる神々は全て大日如来のことである、とした。そして、密教のある一派はタントラという卑猥な宗教を採用したのでございます。

 これは、全宇宙は己の内なる一点から発し、その一点を定めることによって永遠不滅のパワーが収得できる、とする神秘主義的教義を持つ宗教であります。その儀式は、祈り、呪文、呪術的図式・記号、特別神、の崇拝に基づくもので、その最高形態は、マディヤ(酒),マツヤ(魚),マーンサ(肉),ムドラー(印契),マイトゥナ(交接)を共にすることであります。

 ムドラー(印契)とは10本の指をいろいろと組み合わせて神秘的パワーを発揚したり、意思表示をするものです。彼らは女性の創造のパワー、シャクティをあらゆる力の源として崇拝していたのであります。

 儀式の中において、酒肴と肉を飲み食いし、怪しげにムドラーを行って男女が交わる。これを密教の一派は公然と取り入れていったのです。しかも、薬物乱用まで出てくる始末でした。飲酒と邪淫を厳しく禁止した釈迦の教えはここでは完全に破壊され、裏切られています。それからインドにおける仏教は著しく荒廃していくのであります。

 グプタ王朝(320年成立)以降、王が仏教を弾圧するようになり、ヒンズー教を保護するようになった理由はそこにあると思います。民間信仰とバラモン教の合体であるヒンズー教は、結婚、葬式、出生、命名、厄払い、家庭円満、豊年満作、商売繁盛祈願、など、彼ら独自の宗教儀式で対処し、一般庶民のハートを完全に掴んでしまった、というわけであります。

 さらに、海外貿易の最大の拠点だった西ローマ帝国が、傭兵隊長オドアケルの叛乱(476年)によって滅亡したため、仏教の経済的支援をしてきた富豪や商人達が次々と倒産し、破産宣告する者や、夜逃げする者が続出して仏教の衰退は一気に速度を上げていきます。

 そして、八世紀初頭、アラブ軍が侵入し仏教弾圧が始まり、1203年、仏教最後の拠点のヴィクラマシラー大寺が、何の痕跡を残さない迄に徹底的に破壊され、 致命的な打撃をこうむります。13世紀の初め、トルコ系異民族の政権成立とともにインにおける仏教の殆どが滅び去ることになります。密教の一部の僧侶たちはチベットへと逃れていったのであります。

 以上のことで、私も釈迦の教えの根本が、微かながらもようやく分かったのですが、物理的視点における宇宙構造や自然現象、その原因、物質構造などが全く分からない時代に、よく、ここまで悟りを開かれたものだと感心いたします。おそらく釈迦が現代社会において、あらゆる科学知識を習得し、その上に立って、苦行から中道に則った悟りに至ったとき、全く異質の世界観が広がったと思います。

 釈迦は教団としての仏教は望まず、真理と人類救済、心の完成としての仏教を、はるか2500年前の過去から波紋のように広げております。そして、彼の最古の言葉集である3原典の一つ「パリニッバーナ」では、誰かが唱えたものが真理であれば、それは間違いなく仏陀の言葉である、としております。ということは、仏教の教理は真理から真理へと拡大していきなさい、という無言の指示があるということです。

 釈尊はあらゆる執着を捨て、煩悩を払拭すれば苦しみはなくなり、涅槃の境地に達する、としております。しかし、彼が現代社会で悟りを開いたとするなら、制御された清浄な執着と欲こそが人類発展の鍵、としたかもしれません。なぜなら、人類は不老不死の時代に入ろうとしているからであります。科学はそこまで進化発展しております。





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最終更新日  2008年11月11日 08時14分28秒
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