相模 恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
小倉百人一首 六十五相模(さがみ)恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ後拾遺ごしゅうい和歌集 815(わたしを弄もてあそんで捨てたあなたを)恨むことに疲れて涙で乾く暇のない袖さえ(朽ちずにここに)あるというのに恋多き女とか噂されて笑われて朽ちてしまうだろう私の浮名がとっても悔しいのよ。註詩歌の泉・失恋の歌だが、つれない男への未練たらたらの悶え苦しみと、口さがない世間の後ろ指を嘆きつつ、恋多きモテる女の恋愛中毒(アディクテッド、ジャンキー)的な恍惚(エクスタシー)と自己愛(ナルシシズム)と、自尊心(プライド)さえも漂わせている、洗練された一首。作者の身分は女房。上級貴族の娘につけられた住み込みの家庭教師のようなもので、その多くは中下級貴族の家の才女だった。当時、一流の教養人として一目置かれていた。紫式部、清少納言、赤染衛門などもこの階層。平安の上流社会はフリーセックス状態かよとツッコみたくなるが、あながち当たらずといえども遠からずかもしれない。うらやましい(・・・おっと、これはセクハラ発言か)わぶ(侘ぶ):「~する気力を失う、疲れる」という意味と、「わびしく思う(頼りなく心細く寂しく思う)」の両義を掛けている。ほす(干す):乾く。だに:~でさえも。袖だにあるものを:なかなか凝った言い回しで、意外に難解な語句。素直に読めば宗祇などの「傷みやすい袖でさえそのままあるのに」という文脈か。近代の歌人・吉井勇などは、この通説を支持している。ただし、近世の契沖などがこれを否定し「涙で濡れて朽ちそうな袖さえ惜しいのに」というやや穿った解釈をし、これが有力な深読みとして認知され、爾来両説が対立している。(あるもの)を:逆接。~なのに。(朽ち)なむ:完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に、推量の助動詞「む」の連体形が付いたもの。~てしまうだろう。こそ・・・けれ:強調の係り結び。