うたのおけいこ 短歌の領分

2006/11/10(金)18:21

Salyu;プラットホーム

アフィリエイト(346)

二人のプラットホームは、どんな場所にでも現れる。   Salyu;プラットホーム 11月1日にリリースされた。 清冽で静謐でスケールの大きなバラードだ。Bank band with Salyuの「to U」や、先日の「name」など、今年メージャーシ-ンでブレイクし、その超絶の歌唱力を広く知られるに至ったSalyuにしても、作詞作曲・プロデュースの小林武史にしても、悠々としたゆとりと揺るぎない自信が感じられ、それがそのままゆったりと伸びやかでノスタルジックな美しい曲調に反映されている。 このようにして、ずっと僕たちだけのマイナーな存在だったSalyuも、時代のディーヴァとして光の中へ飛翔しはじめた。大きな祝福を捧げつつ、一抹の寂しさも禁じえない古くからのファンの贅沢な嘆きは、よくあることではあるが。 秘密戦隊アレンジャー歴が長く、小技もけっこう得意な老練・小林選手が、この曲では猪口才なアレンジの小細工を全くといっていいほど弄さず、正統派クラシック音楽の逸品を聴いているような優雅な充実感を覚える。聴こえるか聴こえないかに抑えられたオーケストレーションを従えて、ほとんどSalyuのヴォーカルとピアノとギターだけのシンプルな陣容で紡ぎ出されるサウンドは、あにはからんや、むしろゴージャスささえ漂わせ、気品――高貴な香りといってもいい――を全編に湛えている。 歌い出しのAメロは、名曲「彗星」にちょっと似ており、クールで洗練されていて、それでいて温かい、毎度お馴染みの“コバタケ節”全開。流麗なBメロの展開を経てサビに入ると、かつて聴いたことがないような独創的なメロディラインが朗々と歌われる。 近頃これほど美しいメロディに接したことはないので、めまいすら覚えた(働きすぎで、少しこちらの体調が優れないせいもあるが)。 タイアップ映画の主題曲という性格が、いい方向に作用している。 骨の髄からロマンティストの小林武史が、Salyuという魔法のパレットを駆使して思う存分描き出した至福の境地。 感動と陶酔のあまり、歌詞についてはまだ十分に熟読吟味してないので、追って若干加筆することとするが、いつもながら研ぎ澄まされた日本語表現であり、かなりいい。 おそらく大人どうしの恋愛であろう。 しかも遠い昔に知り合った人――同級生か何か――との再会であろうか。 また、もう少し大きなもの、人間と人間のコミュニケーションについて歌っているようにも思える。地下鉄のプラットホ-ムというありふれた場所が、銀河鉄道の始発駅のように、生と冒険と物語の出発点になる。 なお、僕にとっては割とどうでもいいのだが、深夜の地下鉄の一駅を借り切って撮影したと思われるプロモーションビデオクリップ(PV)の映像は、初期のSalyuのそれに先祖がえりしたみたいな異形(いぎょう)なイメージに溢れ、いい意味でふざけていて、面白くもゲゲッ!である。確かめてないが、たぶん同じディレクターであろう。けっこういいセンスしてるんだ、これが。 地下鉄車内で、オカマとかデブ女とかパンク小僧とかゴスロリ少女とか凶暴な目つきをしたオタクとか、澁澤龍彦系やシブヤ系やアンダーグラウンド系など、都市の内なる辺境の狂気を感じさせる群像が引きも切らず出現してくるさまは、グロテスコエロティシズムを垣間見せ、椎名林檎のインチキくさい世界よりよほど説得力ある演劇性と虚飾性を醸し出している。 これらは、はっきりいって僕の趣味ではないが、その中で“掃き溜めの鶴”的にたたずむSalyuが、処女懐胎を大天使ガブリエルに告知される寸前の聖母マリア(新約聖書・路加伝福音書、レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」)のごとく凛として清楚であり、なおさら、いっそう、ますます、めっちゃいとおしい。 〔楽曲としての総合評価:91点〕 ――なお、椎名林檎のファンの方からブーイングをいただきました。 ごもっともです。ただ、椎名は、あの一種のインチキくささ、パロディ性・パスティーシュ性(意図的知的模倣性)が持ち味です。それはそれで魅力的なワケです。言葉足らずでした。

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