2013/03/05(火)17:15
藤原朝忠 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
小倉百人一首 四十四
藤原朝忠(ふじわらのあさただ)
逢ふことの絶えてしなくは
なかなかに人をも身をも恨みざらまし
拾遺しゅうい和歌集 678
(いっそ)逢うことが全くないのであれば
なまじっか(時々はお逢いする)
あの人(のつれなさ)も
この身(のはかなさ)も恨まないものを。
註
語法、語句から見て、在原業平の名歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集 53)を踏まえていると思われる。
絶えて:否定語を伴って「全く・・・ない」の意味を示す副詞。動詞「絶ゆ」が語源であることは明らかだが、副詞として一応別の語とされる。古語動詞「敢(あ)ふ」(負けまいと耐える、しおおせる)と、現代語にも残る副詞「敢えて」の関係に似ている。
(絶えて)し:強調・整調の副助詞。特定の意味はない。
(なく)は:仮定条件を表わす接続助詞。文末の「まし」に掛かっている。もし・・・だったら。
なかなかに:中途半端に。なまじっか。かえって。
身をも恨み:自分自身を恨むということだろうが、意外に難解な語句とも思う。われとわが身の「至らなさ、はかなさ、浅はかさ」などを悔しく思うといったことだろうか。
(恨みざら)まし:反実仮想の終助詞。「なくは」の仮定条件を受けて、「(そんなことはあり得ないが)・・・だったら、・・・だろうになあ」といった意味になる。