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ミーコワールド

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夏がくれば 思い出す

 

  <夏がくれば思い出す♪>

私は農家で育った。 父は「ホトケのヨシちゃん」と言われていた。

私は「ホトケ」とついているので父は尊敬されて

そう呼ばれているものとばかり思っていた。 

しかし、中学の頃だっただろううか、

近所に住む遠い親戚筋に当たるおじさんの奥さんから

「あんたのお父さんは子供の頃からアホヨシ、アホヨシ、言われてたんや」と言われて驚いた事がある。 

私はそんな風に言われた父よりもそんな事を言うおばさんが哀れだった。 

なぜって、父はすいかを作るのが名人だったから。 

すいかに限らずキウリだのナスだの野菜を作らせると名人のようにたくさん収穫をした。 

プロだったから当然の事なのだが。 

今は私も家庭菜園をするのだが、父のしていた事を思い出して作ると沢山収穫できる。

その父が真夏の昼下がり、昼寝からさめて起き上がると

「さあ、これから地球を掻きに行ってくるかア」と言って鍬を持って畑へでかけて行った。

数年前、私はその事を知り合いの先生に話すと、

その先生は涙を流さんばかりに大笑いされた。 

私も大笑いした。 

鍬で土を掻き寄せる仕草がまるで人の背を掻くような仕草だから。 

鍬で土を掻き寄せた経験のない人にはわかりにくいかも知れない。 

私は今でもそれを思い出しては噴出しそうになりながら鍬を使っている。 

そして大切な人の背を掻いてやるような気持ちで強くなくゆるくなく鍬を動かしている。 

そんな父がある日帰ってくるなり、私に

「お前やろ、あんなとこに花の種をまいておいたのは」と言った。 

そうです。 私はひまわりの種をまいておいたのです。 

しかも一番南端の畝に。

父が言うには芽が出たばかりの時には何の芽が出てきたのかわからないので

しばらく様子を見ていたのだが、どうも野菜の芽ではなさそうだし、

かたまって生えているので自然生えでもなさそうだし、

かと言って自分がまいたものでもなし、本葉が少し大きくなってきてよくよく見ても分からない。

それで考えてみるとこんな事するのは私しかないと思ったと言うのだ。 

「何をまいたのか」と問われてひまわりの種だと白状した。 

父はひどく怒って「よりにもよって南の端にひまわりをまくなんて」と言った。 

理由はこうだ。 

ひまわりは非常に大きく育って日陰を作る、養分もよく吸い取る、

まわりの作物が育たない、と言った。 

ちなみに私が小学3年生か4年生の頃だった。 

その頃はまだ祖母も健在だったが助け舟は出してくれなかった。 

私は百姓をするのもバカではできないものだと思ったのだった。 

父と祖母は植物の習性や特徴、虫の事など、根気よく話してくれた。 

むつかしく言うと自然科学の話しだ。 

時には雲の流れ方をみて天気を予測する方法、風の吹く吹き方で予測する方法、

水でいろんな事を予測する事など科学の発達した現代では思いもよらない

原始的なやりかたなのだがこれが案外よく当たったのは不思議だった。 

そんな父だったので他人が悪口を言っても私にはこたえなかった。

むしろ言った人が哀れだった。 

そのように土をいとおしんだ父も百姓魂も私にとっては

過去の事となりつつある今日この頃になってしまった。

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