カテゴリ:独断と偏見に満ちた映画評
喜劇王チャールズ・チャップリンは、ただおもしろおかしいだけではなく、ペーソス、風刺、そして何より痛烈な世相批判を織り込んだ映画を数多く世に出しました。
そのひとつが、1936年の大傑作「モダン・タイムス」です! 完全オートメーション化の大工場で働くチャーリーは、機械に翻弄された挙句、精神を壊し、入院。 退院しても職がなく、とぼとぼ歩いているうちに、何気なく拾った赤旗を振ってしまい、失業者たちのデモのリーダーと勘違いされ、今度は刑務所送りに。 服役中、ひょんなことから囚人たちの脱走を食い止め、刑務所で特別待遇を受け、シャバよりもいい生活を送るが、模範囚としてすぐ出されてしまう。 職もなく、食えないシャバにいるよりは、刑務所のほうがましと、チャーリーは今度はレストランで無銭飲食をはかるが、それもだめ。 そんな時、一人の少女(ポーレット・ゴダード)と知り合う。少女は父をなくし、幼い妹たちとも生き別れになりながらも、健気に生きていた。 職も頼る人もない者同士、意気投合するチャーリーと少女。 やがて少女は、レストランの踊り子、チャーリーはボーイとして雇われる。ところがチャーリーは失敗の連続‥‥ オープニングからして、風刺が効いていましたね。黙々と歩く羊の大群が、巨大工場の門を通過する、無表情な疲れきった労働者たちの群れに変わる‥‥「資本家は工場労働者など家畜ほどにしか見ていない」と、冒頭から言いたかったんでしょうね。 機械に振り回されるチャーリーの仕草のおかしさに、子どものころ観た時は映画館の座席から転げ落ちそうになるほど爆笑しましたが、大人になった今ではあまり笑えません。 '30年代のアメリカは大恐慌真っ只中。機械化が恐ろしい勢いで進む一方、人手がいらなくなり、街には溢れんばかりの失業者。 「どうにかならないのか?!経済は効率一本やりでいいのか?!」というチャーリーの怒りが、スクリーンの奥から聞こえてきました。 機械文明の発展、それ自体は良いけれど、反面、人手を必要としなくなる。また機械ばかりを相手にしていると、人間も機械のようになってしまう‥‥ その恐ろしさを、皮肉を効かせた風刺と、痛烈な批判をこめて、第一級の喜劇に仕立てているのだから、チャップリンという人は本当にすごい! 当時の彼の妻・ポーレット・ゴダード演じる少女も、大変な名演でした。幼い妹たちを飢えさせまいと、波止場の船からバナナを盗む時の勇ましい姿は、忘れられません。 またこの映画は、「チャップリンの声が聞ける!」ということで、公開当時、大層な話題になったのです。 その当時、トーキーにとってかわって無声映画は徐々に姿を消しつつあったのですが、 チャップリンは、「世界中の人に自分の映画を理解してもらうには、セリフに頼るトーキーではダメ。演技が勝負のサイレントでなければ!」と、トーキーを嫌っていたのですが、 ついに「モダン・タイムス」で一部トーキーを採用したのです!といっても歌声、それも「無国籍語」の「ティティナ」という歌で、ですが‥‥ この奇妙な無国籍後の歌を、巧みな身振り手振りをまじえて歌うチャップリンには、「う~む、さすが芸人!」と、うなりました。 レストランのボーイになったチャップリンが、肉料理を運ぼうとしたら、ダンスの渦に巻き込まれ、ぐるぐる振り回された挙句、肉がシャンデリアに刺さってしまうシーンにも、大笑いしました。 そして、あの感動のラスト・シーン‥‥もう何も言うことありません。「スマイル」という音楽も素晴らしかった! 「どんな逆境にあっても、決して希望を捨ててはいけない!」ということを、モイラはこの映画で教わりましたね。 今、人生に絶望しかけている人たちへ。 この「モダン・タイムス」をぜひ一度、ご覧あれ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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