カテゴリ:旅
10:00京都発-11:12長浜着
京都で友達と待ち合わせて、何年ぶりかのこども歌舞伎を見に行ってきました。 先週、長浜に来て、こども歌舞伎の幟とか見ていると、また見たくなってしまって。 今年は90年ぶりに長浜八幡宮に全山12基が勢揃いするというので、余計に。 といっても、子ども歌舞伎の出番山は4組なんですが。 街中に入ると混んでいそうなので、着いてすぐに、この前のグリーンホテルの2階の喫茶の方でランチで腹ごしらえ。 途中、またもや地震で揺れました。日本中どこに行っても地震に会いそうだわ。 『こども歌舞伎』は9時55分から、八幡宮で4組が順次執行され、参道(大手門通り)や御旅所で1組4回ずつ上演されます。 時間が遅れているらしく、進行表通りではないので、まず八幡宮に。最後の二組を見ることができました。残りは参道の例席で。 久しぶりに望遠レンズ使ってみようと思ってわざわざ持っていってたけど、人ごみの頭で無理。アマチュア(?)カメラマン達は脚立持参で来てました。 そんな体力ないわ~。 ![]() 小さい子の舌たらずな台詞が微笑ましかったり、子供とは思えないような大人顔負けのしっかりした見得を切ったり、芸達者ぶりを発揮する子が居ると、「良くできました~!」の掛け声が掛かったり、存分に楽しむことが出来ました。 ![]() 舞台裏での早変わりも大変です。 でも、故郷と一体となった想い出は彼らの一生の宝でしょうね。 19:02長浜発の新快速に乗ったけど、地震の影響で米原でストップ。普通に乗り換えて帰りました。 自分の覚書として、【外題】と(あらすじ)を写しておきます。興味のある人だけ読んでね。 【伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 足利家御殿の場】…孔雀山(神戸町組) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (あらすじ) 奥州の領主は吉原の傾城高尾に入れあげ、領国を顧みないため隠居を命じられ、幼君の鶴千代が後を継いだ。しかし、お家乗っ取りを企む一味があるところから、乳母の正岡は鶴千代の食事の世話も自分で行っていた。 空腹を訴える鶴千代と実の子の千松をなだめていたが、そこへ頼朝の使者として栄御前が菓子折りを持って現れる。鶴千代が菓子を食べようとしていたとき、端から千松が菓子をとって食べてしまう。それには毒が仕込まれていたため千松は苦しみもがく。それを見た一味の八汐が露見を恐れ千松を刺し殺す。我が子が死んでも涙も見せない政岡。 栄御前は、政岡が子供を取り替えたと思い込み、自分たちの企みを打ち明けて帰る。しかし、千松は政岡の実の子だった。 千松は母の教えを守り主君のために命を投げ出したのだ。 ひとりになった政岡は、千松の遺骸を抱きしめ悲嘆にくれる。それを見た八汐は政岡に斬りかかるが、却って討ち取られる。 (感想) 乳母・政岡役の針崎修平君は、子供の死を前にしての毅然とした態度と、一人になってからの母の嘆きのギャップを上手に演じていました。 八汐役の高木一輝君は本当に怖い視線でしたが、終わった途端に笑顔が可愛いかった。 【一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋】…常盤山(呉服町組) ![]() ![]() ![]() (あらすじ) 平敦盛が、熊谷次郎直実に討ち取られた事を知った敦盛の母、藤の方は、直実が守る生田の森の陣屋において、仇を討とうとするが、直実は押し留めて、敦盛が武士らしく潔く死んで行った様を語って聞かせる。 やがて陣屋にやってきた源義経の前で、敦盛の首実検(検分)が行われる。義経は確かに敦盛の首であると認めるが、実は後白河法皇の御落胤である敦盛を救うため、義経と直実が仕組んだ芝居であったのだ。 忠義のために自分の子を犠牲にすることに世の無常を感じた直実は、妻の相模と共に出家し、名も蓮生と改め、密かに助けた敦盛を、今は石屋の老人として世を忍んでいる平宗清に託し、静かに戦場を去って行く。 (感想) 直実役の宇津木智輝君は足が震えてて、痺れきれたのかなと思ってしまったけど、わが子を死なせてしまった悲しみの表現だったのね。勘違いしてごめんなさい。 6歳の田沢卓巳君は愛くるしくて可愛い。よく頑張りました! 【絵本太功記(えほんたいこうき)十段目 尼ヶ崎閑居の場】…翁山(伊部町組) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (あらすじ) 本能寺の変で小田春長(織田信長)を討った武智光秀(明智光秀)。が、光秀の母皐月は主君を討ったわが子を恥じて尼崎の閑居にこもっている。 そこへ光秀の妻操と、息子十次郎の許婚初菊が訪ねて来る。また、皐月は一夜の宿を求めて来た旅僧を招き入れる。 十次郎が、初陣の許しを請いに訪れ、初菊と祝言の盃をあげ、鎧兜に身を固め戦場へ向かう。 皐月は旅僧に風呂をすすめて奥へ入る。そこへ竹薮から鎧に蓑をまとった光秀が登場。光秀は旅僧を久吉(羽柴秀吉)と見破り、障子越しに竹槍で突くが、誤って母皐月を刺してしまう。皐月は主君を討った天罰と責めるが光秀は聞き入れない。しかし、そこへ全身に重傷を負った十次郎が経ち帰り敗軍のもようを伝え、父や母そして初菊の身を気遣いながら落命する。相次ぐ肉親の死に、さすがの光秀も悲嘆の涙にくれる。 しかし、涙にくれる間もなく陣鉦の音。佐藤正清(加藤清正)を伴った久吉が現れ、はやる光秀に「決戦の場は天王山」と後日の再会を約束して別れるのであった。 (感想) この場面で「天王山」という言葉がでてくるんですね。 【仮名手本忠臣蔵 七段目 一力茶屋の場】…萬歳樓(瀬田町組) ![]() ![]() ![]() (あらすじ) 由良之助は敵の目、世間の目をくらます為に祇園の一力茶屋へ通い始め、遊び三昧。この茶屋は、勘平の女房お軽が身を沈めていました。そこへ千崎弥五郎らが決起を促しに来ます。彼の共をしてきたお軽の兄・寺岡平右ヱ門も仇討の共を願い出ますが、酔った由良之助は取り合いません。そこへ師直方の間者となった九太夫が現れ、酒宴となりますが由良之助はわざと錆びた刀を置き去りにして、敵討ちする気はないと悟らせます。 一人になった由良之助は力弥から送られてきた書簡を釣灯篭で読みますが、これを二階からお軽が鏡を使って、縁の下からは九太夫が手紙を盗み見していました。簪の落ちる音でお軽が覗いているのを知った由良之助は、お軽を身請けしようと言い出します。喜ぶお軽。しかし由良之助は身請けした後、密かに殺す気でいました。 由良之助が身請け話をしに去った後、お軽の兄平衛門が現れます。お軽の話を聞いて由良之助の真意を悟った平右ヱ門は、お軽に父親や勘平の死を話し、お軽を切ろうとし、お軽も生きる望みを失って死のうとします。そこへ由良之助が現れお軽の手に刀を持ち添えて縁の下の九太夫を刺し殺し、平右ヱ門には一味への参加を許すのでした。 (感想) お軽と勘平の話はよく聞くけど、兄・平右ヱ門の関係が最初よくわからなかったけれど、西川寛路君は台詞回しがはっきりしていて、舞台度胸満点でした。フィルムの方に写ってたら、またUPします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.04 18:46:39
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