カテゴリ:美術・写真展
『フランス国立ギメ東洋美術館』所蔵の浮世絵が里帰りしました。 平日の雨にも拘らず、入館者が多くて人いきれで気分が悪くなって、途中休みながら廻りました。 後で聞くところでは、大阪在住のお年寄りに招待券が配られたもようです。道理で年齢層が違うなって思ってました。 今回の展示の目玉は、北斎の「龍虎」が100年ぶりに出会ったことです。 ギメ東洋美術館に所蔵される北斎の肉筆画「龍図」が、東京の大田記念美術館所蔵の「虎図」と対幅であることが2005年に発見されたのです。 展示は、一人の絵師ごとにコーナーが分かれていました。 「鈴木春信」(1725?~70)…可憐な美人画で画壇を席巻した江戸中期の浮世絵師。錦絵(多色摺木版画)の創始に大きく貢献し、それまで数色に限られていた浮世絵版画に多色摺の華麗な世界をもたらしたという点でも重要な絵師です。 (版画とは思えないような色使いです。) 「東洲斎写楽」(生没年不詳)…デフォルメされた大首の役者絵で世界的にも評価が高い浮世絵師。寛政6年(1794)5月から、翌年の1月頃という短い期間に約140点の版画を残しましたが、その正体については謎が多く分かっていません。 (役者絵は今でいうブロマイドのようなもの。歌舞伎役者のファン心理は今も昔も変わっていないようですね。睨みまで利かせて表情豊かです。) 「喜多川歌麿」(?~1806)…美人画の第一人者として一世を風靡した浮世絵師。とりわけ、寛政年間(1789~1801)初め頃に発表された女性の大首絵(おおくびえ…上半身をクローズアップさせて描いたもの)で有名です。 (美人画は現代のグラビアのようなもの。顔の輪郭線を描かないという手法で女性の柔らかな頬を表現しています。8頭身どころか10頭身くらいありそう。プロポーション良すぎでしょう。ちょっと捻った腰の線が色っぽい。) 「葛飾北斎」(1760~1849)…いわゆる「赤富士」など、富士を描いた「冨嶽三十六景」のシリーズで世界的にも有名な浮世絵師。諸派を学び独自の画風を確立、風景画の絵師として知られるだけでなく、90年の長い生涯の間にさまざまなジャンルで活躍しました。 (画風ごとに名前を変え、30以上の名前を持つだけあって、いろんな描き方に挑戦しています。 胡粉(ゴフン…貝殻から作った白い絵の具)を使ったにわか雨の線描写はリアルです。 ドイツ生まれの「プルシャンブルー」=「べろ藍」を1番に取り入れたのも北斎でした。藍の色も鮮やかで、風景が息づいてます。 「歌川広重」(1797~1858)…詩情豊かな風景画・花鳥画のジャンルを中心に活躍した浮世絵師。天保4年(1833)頃に発表された保永堂版「東海道五拾三次」シリーズにより、一躍、風景画家としての地位を確立しました。 (短冊判と呼ばれる縦長の画に描いたり、柱に掛けて楽しんだのでしょうか?インテリアの役割も果すようになったのかな。) 他にも特徴を捉えたいくつかのコーナーがありました。 「初期の浮世絵」…墨一色で摺られた墨摺絵が中心でしたが、次第に丹(鉱物系の赤絵具)や紅(植物系の赤絵具)を筆で彩色するようになりました。 「紅摺絵(べにずりえ)」…紅や緑、黄などいくつかの色を重ね摺りした紅摺絵が誕生しました。 「浮絵(うきえ)」…西洋の遠近法を取り入れた浮世絵版画。今でいう3D画像のような感覚だったのでしょう。 「役者似顔絵」…個々の役者に対するファン心理が高まり、顔の特徴をとらえた役者絵が人気でした。 「相撲絵」…江戸時代の人気スポーツといえば相撲。力士はスターだったのでしょう。 「洋風風景画」…西洋の銅版画の強い影響を受け、その合理的な空間表現や陰影表現を木版で再現しようとしたもの。 「摺物(すりもの)」…売り物の浮世絵だはなく、私的に制作されて知人に配られたもの。贅を尽くして作られた摺物は、当時の美意識の極みといえるものです。 「団扇絵(うちわ)」…団扇に貼るための浮世絵。夏の粋な装いの小道具として使われたので、現存するものは少なく貴重です。 大阪市立美術館のURL↓ http://www.city.osaka.jp/museum-art/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.01 00:17:54
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