カテゴリ:旅
『非公開文化財特別公開』が今日までだったので、天気も良いし、京都を散策してきました。
東寺と知恩院を迷ったのだけど、知り合いが行って良かったと聞いたのと、東山で花灯路も開かれるので、今回は知恩院の三門メインで。 河原町駅を降りて、祇園を通り(ずい分お店が変わってる)、八坂神社に向かいました。 初詣に行かず仕舞いだったので、こちらでお参りして、初おみくじを(「吉」でした)。 円山公園を通り抜けて、「知恩院三門」へ。 一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)の意味で、「三門」と書きます。 元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公によって建立されたもので、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の楼門です。 階段は急で、靴下が滑りそうで怖かった~。 歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の二幕返しで石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」という名台詞を吐く「南禅寺三門」と比べてみたいところですが、周りにビルが建ったせいか、いつも神戸の街並みを見下ろしているせいか、あんまり高いと感じませんでした。 下からは何度も見て、でっかいと感じていましたが、上層部(楼上)内部が、仏堂となっているとは知りませんでした。 中央に釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像が安置されています。 釈迦牟尼仏像は立派でしたが、十六羅漢像は弁慶みたいないかつい感じの顔立ちあり、好々爺みたいな顔立ちありといろいろです。 どういう人たちなのかよく分かりませんが。 その他にも、天井や柱、壁などに天女や飛龍が極彩色で描かれていて、荘厳な雰囲気があります。 韓国の寺院を思い出します。韓国の場合、外観も派手でしたが。 中央には狩野たんゆうによる飛龍が描かれています。こちらの龍は三爪でした。 お堂での解説者によると、三爪は将軍家、四爪は貴族・公家、五爪は天皇家を表しているそう。 Wikipediaによると、竜を描く場合、国によって指の本数が決まっていたそうです。 最高位である五本指の竜(五爪の竜)は、中国での作品のみに見られる。 四爪の竜は、朝鮮など近隣諸国の中で特に中国に近い国で描かれていた。 最後に三爪の竜は近隣諸国の中でもやや遠くにある国(日本など)で描かれていた。 五爪の竜は中国の皇帝しか使うことが出来ず、一説によるとこれは中華思想が元にあり、皇帝の威厳を保つ役割もあったとされる。 左右には天女が3人ずつ。その内、一つは迦陵頻伽でした。 解説によると、迦陵頻伽は仏さまの声で鳴き、極楽に導くと言われているそうです。 Wikipediaによると、迦陵頻伽(かりょうびんが、迦陵頻迦とも。)は、上半身が人で、下半身が鳥だという想像上の生き物。 『阿弥陀経』には迦陵頻伽が、共命鳥とともに極楽浄土に住むとしている。 横の壁には麒麟(きりん)が描かれています。 この麒麟はキリンビールのラベルでお馴染みの中国の伝説上の動物(霊獣)です。 小野不由美の『十二国記』(じゅうにこくき)が思い出されます。 柱にはマカラ魚も描かれています。 海の守りなのでしょうか? また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門を建立した棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されています。 三門をくぐり、急な石段の男坂を登りきると、左手に巨大な屋根を持つ雄大な建築物が見えます。 元祖法然上人の御影(みえい)をまつることから、「御影堂(みえいどう)」の名を持ち、総本山知恩院の中心をなすお堂です。 経蔵も見ようか迷ったのだけど、観光ツアーのお客さんが多かったのと、明るい内に「青蓮院」のお庭も見たかったので、そちらに向かいました。 三門を出た所にある「良正院」の門前に『戦友』の歌碑がありました。 作詞者真下飛泉氏の終焉の地に近く、建立されたもの。文字は『肉弾』等の著者桜井忠温氏。 昨夜「東京大空襲」のドラマを見たばかりなので気になって。 小さい時に覚えた歌は忘れないものですね。 「青蓮院」に到着すると、巨大な五本の楠に迎えられます。 「青蓮院門跡し(しょうれんいんもんぜき)」は、三千院、妙法院と並ぶ天台宗三門跡の一つで、天明の大火(1788)の際に、仮御所となったことから、粟田御所とも呼ばれています。 最澄(伝教大師)が比叡山に建てた僧侶の住居の一つ「青蓮坊」に始まるとされ、平安時代末期の行玄の時に三条白川に移り、鳥羽法皇の第七皇子が行玄の弟子として入寺して以来、皇族や摂関家の子弟が門主(住職)を務める「門跡寺院」となった。 「華頂殿」の襖の蓮の青が鮮やか。ここから庭が見渡せます。 小さいかと思ってたら、「宸殿」「小御所」「本堂」と渡り廊下で繋がってました。 おみくじの創始者『元三(がんざん)大師 坐像』 Wikipediaによると、堂内の厨子には青蓮院の御本尊である『熾盛光如来(しじょうこうにょらい)曼荼羅』が安置されているが、通常は公開していない。 熾盛光如来とは仏頂尊の一尊で、天台宗最大の秘法といわれる熾盛光法(国家鎮護、皇室の安泰などを祈る修法)の本尊であるが、この如来を寺院の本尊とするのは珍しい。 寺伝では文禄5年(1596年)作の掛軸で、中央に種子「ボロン」(bhruuM)で表わした熾盛光如来、周囲に八大菩薩を表わしたものという。 逗子の前に翡翠の玉が。 糸魚川産。今は産出されません。 本堂の東裏には国宝の青不動画像の複製が安置されています。 最後にお庭を散策。 庭園は室町時代の「相阿弥」作と伝える築山泉水庭 (龍心池、洗心滝、跨龍橋) 江戸時代の「小堀遠州」作と伝える霧島の庭などがあります。 この木は何でしょう? 霧島つつじの季節には早いですが、まだ、梅の花が残っていました。 沈丁花の良い香りもしてきます。 馬酔木 (あせび)の花も可愛く咲いてます。 庭から見た「宸殿」 楠の枝が覆い被さるようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月21日 21時02分22秒
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