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今朝は午前6時前に起きて作業着に着替えて照明器具の補修。木が腐ったり脇の植木が伸びて圧迫されて壊れた外灯を補修。玄関の蛍光灯が切れかけているので外しました。補修って頑張っても元に戻るだけなので張り合いがありませんね。写真もありません。元に戻っただけなので(^^)
最近のブログで国営放送の批判を書いていますが、僕はそもそもマスコミが好きじゃありません。昔は命を懸けて国民のために報道していた機関が戦後ボケで商売第一になっているのに相変わらず表現の自由を振りかざして好き勝手なことをしていたからです。特に僕が司法試験浪人中に憲法の勉強をしていて一番嫌だったのが表現の自由に関するものでした。とくにマスコミです。僕が使っていた予備校は定型文をひたすら覚えるという指導方針でした。「表現の自由は表現活動が自らの人格を発展させ(自己実現)、主権者たる国民が政治的意思形成に関与する(自己統治)という価値を保障するものであり最大限尊重すべきである」なんて、まだ覚えています(^^) マスコミはその手段として重要といわれますが、これを盾にあらゆる場面で表現の自由を主張します。芸能人の不倫や密会現場の盗撮がプライバシーの侵害だと訴えるとマスコミは表現の自由を盾に反論するのですが、これって表現の自由なんでしょうか。ただの商売だろうと思いマスコミに対する反感が強くて表現の自由を認めたくなくなりました。だから落ちたわけではないですが(^^) 僕が憲法を習っていた40年前に、すでにマスコミの表現の自由と商業上の行為を峻別する判例が出始めていました。今はネットを使って誰もが自分の意見を自由に表明できるし事実の確認も複数のメディアを使えるので簡単にできます。偏った報道をして世論操作しようとすれば逆に自分のクビを締める結果になるのが現代です。昔は表現手段の代表であり独占していましたが今や会社を存続させるために強引な取材をしてでも売り上げにつなげないと潰れてしまう憐れな存在です。国営放送は強制的に徴収する視聴料と国からの税金で成り立っているので倒産する危険はありませんがみているのは僕ら還暦世代くらいで、それ以下の方々はほとんどみていません。したがって影響力もなければ存在意義すら失われつつあります。 週刊誌の休刊も相次いでいるし、新聞の発行部数も2000年と比較すると半減近いです。かつてテレビ局は新聞社の子会社みたいなものでしたが親会社がこれではいずれ消えるでしょう。でも、民間が潰れても国営放送はしぶとく生き残るでしょうね。せめて、国民のニーズに応える報道機関として生き残って欲しいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.21 19:15:57
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