忘れられないアラブ5位イナリトウザイ改定版(一度の負けで評価を下げられた魔女)
○イナリトウザイ(中央~大井) 先ず、イナリトウザイに触れておく。イナリトウザイは中央競馬でデビューから2戦続けてレコード勝ち。3戦目のアラブ3歳(現2歳、以降年齢は旧表記)オープンも楽勝したことで陣営はアラブに敵なしと見てサラブレッドに挑戦させることにした。 ここでも、サラ3歳オープン→東北3歳S→サラ3歳オープンとそのスピードで圧倒して3連勝!その勢いで、新潟3歳Sに挑戦したが、執拗なマークにあい7頭立ての3着であった。続く、中京3歳Sも11頭立ての3着だったが、年明けの新春牝馬特別では見事な逃げ切りでサラを撃破。圧巻は重賞のクイーンカップ。サラ4歳牝馬の一線級を相手に、故野平祐二騎手を背に逃げまくり、ゴール前でレスターホースには差されたが、他のサラブレッド13頭には交わされることなく3/4馬身差の2着に粘りきった。フラワーカップ5着を最後に南関東のアラブダービーを目指して(中央から地方競馬に移籍のアラブは当時は殆どいなかった)大井競馬の三坂博厩舎に移籍した。 初戦のアラブオープン特別を圧勝して「さすが、魔女と呼ばれるだけはある!」と地方競馬ファンの度肝を抜いたのであった。続く川崎での鎌倉記念(強豪が集まるレース)では、父がカリムということで2000メートルの距離が心配されたが、グリンファスト・ユワブチキングと言った強豪を問題とせず、その強さを見せ付けた。 目標であったアラブダービーでも、園田で全日本アラブ優駿・楠賞を制し4歳日本一の座についたグリンファストの差し脚を完封し、あっさりと目標を達成する。その後は、この馬がアラブのオープン戦に登録すると他のアラブが回避してしまうので、川崎のサラオープン特別に出走。そこでも、トサエンド・ヤマナカクインといったサラブレッドのオープン馬を圧倒し、地方競馬に転入以来4連勝を飾った。しかし、これがイナリトウザイには却って悪かった。 アラブダービーの次の目標であったアラブ王冠賞に出走申し込みをしたのだが、イナリトウザイの強さに恐れをなして登録馬が次々と回避してしまい、出走投票日にはこの馬のほかにいた4頭の登録馬も回避してしまった結果、頭数不足でアラブ王冠賞は取りやめとなってしまった。クラシックレースが1頭の強い馬のために中止となったなどというのは地方・中央を通じても前代未聞の出来事であろう。其れほどまで、イナリトウザイが強かったという証明だ。その鬱憤を晴らすべく出走したオールカマー東京盃で、更にこの馬は大仕事を成し遂げる。サラブレッドの一線級を相手に、持ち前のスピードを遺憾なく発揮して、名馬ヤシマナショナルの持つレコードタイムを0秒6も縮める1分10秒5の驚異的なタイムで逃げ切って魔女の真髄を見せつけた。このレコードタイムは昭和55年にカオルダケによって破られるまで、大井のサラブレッド1200メートルのレコードタイムとして燦然と輝いていた。 迎えた、第20回全日本アラブ大賞典。主役は、当然地方競馬では負け知らずのイナリトウザイであった。鎌倉記念と同じく今回も父カリムだけに、初の2600メートルに不安が残った。この馬を負かせるとしたらと2番人気になったのが、前年のダービー馬で大賞典でも2着だったポートスーダン。この大賞典を◎ポートスーダン、○グリンファストで見事的中させた専門紙「勝馬」の大井競馬担当の片岡トラックマンはこう語る。「カリムの血は、タマミやハイセイコーを見ても長いところはよくない。逆に、ポートスーダンは名馬ダイリンの全弟だしグリンファストは距離延びるのは有利。それよりもイナリトウザイ自身が攻め馬を見てても、なんか受ける感じが上手く言えないけど違っていたんだ」。 小雨の降りしきる中でスタートが切られ、イナリトウザイが予想通り先頭に立つが、ホッカイタケルに絡まれて、珍しく単騎で行くことが出来なかった。1周目のスタンド前でようやくホッカイタケルを振り切ったが、イナリトウザイには何時もの軽快さが見られない。それでも、手綱を取った佐々木竹見騎手が向う正面入り口辺りから、徐々にペースを落ち着かせに行く。「さすがに佐々木竹見だ。この馬のペースになってきた」と三坂調教師が、ほくそえんだ直後の3角手前、もう一人の名人竹島春三を配したポートスーダンが一気にスパートするとイナリトウザイを外から交わして先頭に立った。グリンファストも大外からライジングトップを引き連れて上がってくる。4角を手応え十分に回りきったポートスーダンは直線に入っても余力十分で、追いすがるグリンファストに最後は手綱を持ったまま追うことなく4馬身の差をつけ、昨年2着の雪辱を晴らした。 3角スパートについて竹島騎手は「あのままでは、竹見さんのペースになってしまう。そうなるとイナリトウザイは強いから一気に行ったんだ」と語ってくれた。5着に敗れたイナリトウザイの佐々木竹見騎手は「どうも本調子にかけていたようだ」と一言。この本調子に欠けていた訳が、後の取材で明らかになる。魔女と言われようと4歳の牝馬である。中央から大井競馬へという大きな環境の変化に当初戸惑っていた。それを熱心に親身になって世話をし続け、中央時代よりも馬体をふっくらさせたのが、担当の曽和厩務員だった。体がふっくらしたことにより持ち前のスピードに磨きが掛かったことも事実である。しかし、この曽和厩務員が原爆症が原因の白血病のため11月に入院してしまう。心の支えを失った4歳牝馬は、攻め馬のときなどに、いつも曽和厩務員が立って見ていた位置に来ると止まってしまい、曽和厩務員を探していたそうだ。こんなイナリトウザイがこの大賞典で本調子であったわけがなく、現実に馬体も淋しく見えた。この大賞典の敗戦でイナリトウザイの評価が、大きく下げられているように思えてならないので、真実を知ってもらうためにこの場を借りて書かせていただいた。片岡TMが感じた「何か違う!」というのが、メンタルな部分であろう。人と馬、馬と人の関係の難しい部分を知り競馬の素晴らしさ、競馬の奥深さを改めて感じずには居れなかった全日本アラブ大賞典だった。