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上原麻実のつれづれ草

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2006.03.05
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私は4歳の時からずっと補聴器を付けていた。それも両耳に。
(現在はもう付けていない。)
当時の補聴器は高価だったはずだ。それでも、遊ぶ度に壊す補聴器の修理に出したのは数え切れず。
しかも、箱形の2個なので、ブラジャータイプに2つのポケットを縫い付けるという形で親達が工夫して手作りをしたりしていた。
寝る・お風呂以外は絶対に取り外してはならない、というろう学校の教師のキツーイお達しで、それを律義に守った我が母。
それ故に、ひどい目に遭った事もあった・・・。(それについては、後ほど)

小学・中学・高校はずっと箱形だった。中学時代には、既に『耳掛け式』が出ていたが、まだ高度難聴用のは出ていなかった。出ていたとしても、極わずかで、超高価だった。
私が耳掛け式を始めて付けたのは、成人してからだ。
それ以来、ずっと耳掛け式を使っていた。人工内耳の手術を受けるまでは・・・。

人工内耳の装用するようになってから、補聴器を外したが、1年後に人工内耳のスピーチ・プロセッサも外した。
同時に、『聞こえ』も捨てた。
吹っ切れたのだ。やはり、自分は生れながら『ろう者』なのだ。
手話が満足に出来なくとも、ろう者に変わりない。どうあがいても、『健聴者』になれない。
不思議な事に補聴器も人工内耳も止めてから、割と心が落ち着いてきた。





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Last updated  2006.03.05 16:39:12
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