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テーマ:今が旬の話(412)
カテゴリ:その他
全国的に夏真っ盛りですね。皆さん夏休み、お盆の計画を立てていらっしゃるんでしょうね。私も今週末か来週末に夏休みをつなげて休もうかと思っています。お子様は暑さに弱いので、暑さ対策をしっかり取って下さいね(大会巡りの方は大丈夫でしょうけど・・)
さて、こちらの夏の風物詩、仙台七夕まつりが8月5日の前夜祭(七夕花火祭り)を経て6,7,8日と開催されています。今日が最終日ですが、いつもは雨が必ず降る仙台七夕も、今回は晴れっぱなしでした。 この時期はどこも、お祭り三昧ですね。東北でも超メジャーなお祭りですと、青森ねぶた祭り、秋田竿灯祭り、山形花笠祭り、そして仙台七夕まつりなどがあります。先週末には、至る所で花火大会が催されていたようです。仙台七夕まつりは、七夕なのに、なんで7月ではなく8月??という話をよく聞きます。今日はムシには関係ありませんが、仙台七夕をエピソードを交えてご紹介させて頂きますね。 仙台七夕リアルタイム画像。クリックしてみて下さい。 【仙台七夕まつり公式HPより抜粋】 七夕まつりは本来、旧暦7月7日の行事であり、仙台でもその例外ではなく、7月7日に行われ、8日の朝に飾り物をつけたまま川に流されていました。しかし、このような七夕まつりも、維新の変革とともに、全国的に衰微する一方でした。特に、明治6年の新暦採用を境に、年々行われなくなり、第1次世界大戦後の不景気をむかえてからは、ますます寂しくなる一方でした。 不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させました(大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつけた)。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれました。 翌昭和3年、元来旧暦行事だったのを新暦日付の月遅れ、すなわち民俗学上中暦と呼ばれる8月6日、7日、8日の3日間にわたり、東北産業博覧会の行事として、さらに仙台七夕を盛んにしようと仙台商工会議所と仙台協賛会との共同開催で「飾りつけコンクール」が催されました。 参加したのは東一番丁、名掛丁、新伝馬町、大町通り、国分町、立町通りなど11町会で、8月6日夕方から一斉飾りつけをし、3日2夜にわたる七夕が復活しました。仕掛け物、電飾と様々な趣向を凝らした七夕飾りで、街はお祭りムード一色。しばしば通行整理や交通制限が行われるほどの混雑ぶりでした。この年が仙台七夕が完全に復活した、記念すべき年とされています。 しかし、再び勃発した戦争で七夕飾りは街から消えていきました。戦況が激しくなった昭和18、19年には、いくつかの飾りが商店街にみられただけで、ほとんど飾られることはありませんでした。 終戦の翌昭和21年、一番町通りの焼けた跡に52本の竹飾りが立てられました。当時の新聞には「10年ぶり"七夕祭り"涙の出るほど懐かしい」の見出しで報じられるほどでした。 昭和天皇が巡幸された昭和22年には、巡幸沿道に5000本の竹飾りが七色のアーチをつくりお迎えしました。それからの商店街が七夕隆盛にかける熱意は並々ならぬものでありました。 その後の七夕は、商店街振興から観光イベントへと変貌していきます。現在では竹飾りだけでなく夜に行われる趣向をこらした七夕パレードも人気を集め、名実ともに日本一のスケールを誇る七夕まつりとなり、毎年全国から訪れる観光客を楽しませてくれています。 他のお祭りと比べて動きが無いので迫力には欠けますが、来客数は毎年3日間で200万人ぐらいと大賑わいです。最近は動く七夕など、パレード形式で盛り立てているようです。管理人は人ごみが嫌いなので、通勤の途中で見るぐらいしか体験しておりませんが、興味のある方は来年にでも予定を立てて是非いらして下さいね。 シトラスさんのプレ企画本日締め切り。 けいた君の募金にご協力願います。管理人も6k募金しました。 仙台七夕の吹流しを作っている紙屋さんの本物のミニ七夕 4位・・。皆さんの力を貸して下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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